「主の栄光を表す」

使徒の働き 9章32―43節
32. さて、ペテロがあらゆるところを巡回していたときのことであった。彼は、リダに住む聖徒たちのところにも下って行った。33. そこで彼は、アイネアという名で、八年間床についている人に出会った。彼は中風であった。34. ペテロは彼に言った。「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださいます。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると、彼はただちに立ち上がった。35. リダとシャロンに住む人々はみなアイネアを見て、主に立ち返った。36. またヤッファに、その名をタビタ、ギリシア語に訳せばドルカスという女の弟子がいた。彼女は多くの良いわざと施しをしていた。37. ところが、そのころ彼女は病気になって死んだ。人々は遺体を洗って、屋上の部屋に安置した。
38. リダはヤッファに近かったので、ペテロがそこにいると聞いた弟子たちは、人を二人、彼のところに遣わして、「私たちのところまで、すぐ来てください」と頼んだ。
39. そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところに来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。

40. ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈った。そして、遺体の方を向いて、「タビタ、起きなさい」と言った。すると彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がった。

41. そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちを呼んで、生きている彼女を見せた。

42. このことがヤッファ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。

43. ペテロはかなりの期間、ヤッファで、シモンという皮なめし職人のところに滞在した。


礼拝メッセージ

2023年1月29日

使徒の働き 9章32―43節

「主の栄光を表す」

 

 先週から大寒波と大雪が続いています。お身体やご自宅は大丈夫ですか?教会と牧師館も木曜の晩から昨日のお昼前まで水道を止めなければならなくなりました。当たり前のように思っていた水道水のありがたみを実感しました。

 あちこちで水道管の凍結・破裂、給湯器の故障などが起きているようで、地元のいくつかの水道屋さんに電話したところ、「人手を確保できません」、「200件待ちです」、「1か月待ってください」と言われてしまいました。教会員のある方にヘルプを出したところ、つながりのある業者と橋渡しして頂き、昨日業者さんが復旧工事に来てくださり、水道を使えるようになりました。本当に感謝です。水道を使えなかった日、別の教会員のお宅にポリタンクを3つ持っておじゃまし、お水を頂いたりもしました。今回も多くの方々に助けて頂きました。

 さて、先々週と先週、使徒の働きのみことばから、主イエス様に選ばれたサウロ後のパウロ(Paul)が、悔い改め、罪赦されて、伝道者として立てられていく姿を見ました。そして迫りくる命の危険から、神様はパウロを守り続けてくださったことを確認しました。

 今日はそのパウロではなくもう一人の「P」で始まる人物、ペテロ(Peter)の伝道の働きです。厳しい迫害を避け、エルサレム教会から各地に散らされて行ったクリスチャンたちがいました (  ― その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。〔使徒8:1〕)。彼らは各地で、ともに集まって礼拝をし、祈り合い、そして伝道をしていました (散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。使徒8:4。エルサレム教会に留まっていた使徒ペテロですが、散らされて行ったクリスチャンたちを励ますために、また各地の教会が正しい福音理解に立ち続けていけるように、各地を訪問し、教え導いていました(エルサレムにいる使徒たちは、サマリアの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした。使徒8:14〕)

 各地を巡回していたペテロはこの時、リダ(ルダ)という町と、そこから20キロ弱離れたヤッファ(ヨッパ)という港町で、2つの癒しの奇跡を起こしています。

 リダでは中風(ちゅうぶ)の男、現代で言えば、脳梗塞や脳内出血のために身体に麻痺が残り、8年間ずっと寝たきりだったアイネアという男を立ち上がらせています。34節で「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださいます。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」と、ペテロが宣言したように、この奇跡は、ペテロ自身の力によるものではなく、神であるお方=主イエス様の御力によるものでした。

 さらにヤッファでは、タビタというみんなから愛されていた女性信徒が命を失っていました。ペテロはひざまずいて、神様の助けと力を祈り求めます。その時、死んでいたタビタの命がよみがえったのです。驚くべき奇跡でした。

 ここで大切なことは、2つの奇跡が起こったその後の出来事です。もしも今、私たちの目の前で、これほどの驚くべき奇跡が起きたとしたら、私たちは、どんな反応をするでしょうか? 出来事や現象だけに目を奪われ、興奮してしまうでしょうか。あるいは、これには種がある、いかさまだ、やらせだと疑いの目を向けるでしょうか?  それでも、「これは本当の奇跡だ」と信じざるを得ないとしたら、奇跡を起こした人や、癒された人をもてはやし、その人をほめたたえてしまうのではないでしょうか?

 けれども、使徒の働きのこの時は違いました。リダの町での奇跡の結果、35節で、「リダとシャロンに住む人々はみなアイネアを見て、主に立ち返った」のです。8年間、寝たきりだった男です。足の筋肉は弱り切っていたでしょう。医者からは、「もう自力で立つことは無理ですね」と言われ、そんなことあり得ない・不可能だと思われていた男が、ペテロから声をかけられた時、すぐに、すっと立ち上がったのです。そして周りの皆が、これは人間の手によるのではない。神の御業だと気付いたのです。そして神から離れて歩んでいた自分たちの姿に気付かされます。主イエス様を信じられないでいた自らのかたくなさを示され、悔い改めて、主に立ち返っていくのです。

 ヤッファでの奇跡の結果も同じでしたね。42節です。「このことがヤッファ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。」 奇跡を目撃し、その奇跡を見聞きした多くの人たちが、ペテロではなく、主イエス様の素晴らしさに気付かされたのです。このお方、イエス様を信じる者に変えられていきました。

 これら2つの出来事の登場人物たち、アイネアもタビタも、ペテロも皆、自らの存在を通して主イエス・キリストを証ししたのです。アイネアは自分の病を通して、タビタは自分の死を通して、ペテロは苦しんでいる人たちを癒すことを通して、主の栄光を表したのです。

 今日は二つ目の奇跡、ヤッファの町でのタビタのよみがえりに注目しながら、私たち自身のクリスチャンとしての歩みを振り返っていきましょう。私たちは日々、主の栄光を表しながら生きているでしょうか? 

 9章36節「またヤッファに、その名をタビタ、ギリシア語に訳せばドルカスという女の弟子がいた。彼女は多くの良いわざと施しをしていた。」 「タビタ」という名前は、当時のユダヤ人たちが使っていた日常語=アラム語の単語でした。ギリシア語では「ドルカス」、どちらも「かもしか」という意味です。身のこなしが軽やかで、あの「バンビ」のようにかわいらしい女性だったのかもしれません。彼女は、その名の通り、本当にすてきなクリスチャンでした。「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)との主イエス様の言葉と行いを、自ら進んで実践していました。他の人のため、特に先にご主人を亡くし苦労しているやもめたちのために多くの良いわざと施しをしていました。 

 タビタさんはこの時、おばあちゃんになっていたと思います。救い主イエス様と出会い、その大きな愛に満たされ、教会の皆のために仕えました。裁縫、針仕事という神様から与えられた賜物を生かして、たくさんの下着や上着を縫って、苦労しているやもめたちにプレゼントしたのです。

 私たちの教会にもタビタのような素適な皆さんがおられることを感謝し、感動しています。私たち家族が昨年コロナ感染した際、また今回、水道が止まってしまった際、示してくださった多くの愛に感謝しています。いつも主のため、教会のため、兄弟姉妹のために仕えてくださり、ありがとうございます。

 聖書のタビタおばあちゃんは、みんなから愛され、慕われ、尊敬されていました。そんなタビタおばあちゃんが病におかされ、命を落とします。教会の仲間たちは、大切になきがらを洗いきよめ、屋上の部屋に安置します。そして、「あのペテロ先生が近くにいる! しかもリダの町にいて、8年間寝たきりだったアイネアを立ち上がらせたそうだ!」その知らせを聞いていたヤッファのクリスチャンたちは、いても立ってもいられず、すぐにリダの町に使いを送ります。ペテロ先生を通して、主イエス様が何かをなしてくださると期待して。

 38,39節 リダはヤッファに近かったので、ペテロがそこにいると聞いた弟子たちは、人を二人、彼のところに遣わして、「私たちのところまで、すぐ来てください」と頼んだ。そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところに来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。

 牧師をしていますと、このような悲しみの場面に立ち会う時があります。― あるお宅で納棺式をした時、ご近所の方々や親族一同が勢ぞろいしていました。賛美歌をともに歌い、みことばを読み、祈りをささげた後、この場で、亡くなられたおばあちゃんのお顔を見るのが最後になる方もいると分かり、皆さんに、「では、ひつぎにお納めする前に、お一人おひとり、○○さんのお顔を見てさしあげてください」と、うながしました。

 近い親族から順に前に出てきて、その方のお顔を見て、語りかけていきます。義理の妹さんたちが大泣きしながらやって来ました。「姉さん、苦労をしたねえ。ありがとう」と涙をすすりながら声をかけていました。この方は田舎の長男の嫁として嫁いで来られました。苦労の多い人生でした。義理の妹さんたちは、この方の存在に本当に支えられたと涙ながらに訴えていました。

 ヤッファの町で、タビタの死を悼み悲しみながら、ペテロに必死に訴えている。「タビタさんに本当によくしてもらった。支えられてきた」と涙して訴えているやもめたちの姿、主イエス様は、そんな悲しむやもめたちをしっかりと見ておられました。この世の権力者でも大金持ちでもなく、小さく弱い存在であったやもめたち。目立たないやもめたちの涙に目を留めていてくださいました。そして忠実な一人の奉仕者タビタのことも、主イエス様はしっかりと覚えていてくださいました。

 ペテロを通して主イエス様の驚くべき御業が起こります。40,41節 ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈った。そして、遺体の方を向いて、「タビタ、起きなさい」と言った。すると彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がった。そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちを呼んで、生きている彼女を見せた。

 主イエス様のよみがえりの力がタビタを包みました。主イエス様のいのちがタビタを覆いました。タビタは死からよみがえらされたのです! 教会全体が、主イエス様からの大きな慰めと励ましを体験しました。どんな迫害が襲って来ても大丈夫。迫害をはるかに上まわる主イエス様の大きな御力を体験しました。主イエス様をあがめ、賛美し、感謝したはずです。この奇跡を通して、主を信じる多くの者たちが町中に起こされていきます。

 私たちはタビタのように、この地上でよみがえらせて頂けることは、おそらく無いでしょう。けれども死の先に、悲しみの先に、私たちは確かな希望、大きな喜びが待っていることを信じています。

 今、そのいのちを、キリストのいのちを私たちは既に確かな約束として頂いています。主イエス様の十字架の身代わりの死を通して、私たちに永遠のいのちが与えられています。小さな土の器の私たちに主イエス様のいのちという素晴らしい宝が与えられています。

 キリストによって罪赦され、救われ、今、キリストのいのちを与えられている私たちは、これからいかに生きていくべきでしょうか? 

 主イエス様を喜び、礼拝し、主イエス様の栄光を表しながら=主イエス様の素晴らしさを証ししながら歩んで生きたいと思います。リダの町のアイネアが、ヤッファの町のタビタが、そしてペテロが、自分の存在を通して、主イエス様を証ししたように、私たちも主の栄光を表す、土の器とならせて頂きましょう!

 私たちが、主からうながされ、助けられて、何かをなしたこと、何かが出来たことも素晴らしいことです。与えられた能力や努力で、神様の栄光を表すことも素晴らしいです。また同時に私は、今日の聖書個所から、重くつらい病気や、悲しい死を通しても、主イエス様の力強さを証ししたアイネアとタビタの姿に教えられ、励まされています。

 弱くされ、失うことを通しても、主イエス様の御力が私たちの内に表されるのです!

 最後に、ローマ人への手紙14章7節から9節までをともに見ていきましょう。

7. 私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。8. 私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。9. キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。

祈りましょう。

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