「神のみことばの力」

使徒の働き 19章8―20節
8. パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、人々を説得しようと努めた。
9. しかし、ある者たちが心を頑なにして聞き入れず、会衆の前でこの道のことを悪く言ったので、パウロは彼らから離れ、弟子たちも退かせて、毎日ティラノの講堂で論じた。
10. これが二年続いたので、アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた。
11. 神はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた。

12. 彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出て行くほどであった。

13. ところが、ユダヤ人の巡回祈祷師のうちの何人かが、悪霊につかれている人たちに向かって、試しに主イエスの名を唱え、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。

14. このようなことをしていたのは、ユダヤ人の祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。

15. すると、悪霊が彼らに答えた。「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかし、おまえたちは何者だ。」

16. そして、悪霊につかれている人が彼らに飛びかかり、皆を押さえつけ、打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家から逃げ出した。

17. このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになった。

18. そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした。

19. また魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると、銀貨五万枚になった。

20. こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。

礼拝メッセージ

2023年8月13日

使徒の働き 19章8―20節

「神のみことばの力」


これだけ厳しい暑さの夏が続きますと、日本の職場や学校でも、昼食後の昼寝時間をまたは休憩タイムをもっと長く取れるように変えていこう、といった声が聞こえてきたりします。強い日差しと暑さ厳しい南ヨーロッパの国々(スペインやイタリアなど)が取り入れている「シエスタ」という長めの昼休憩(13~16時位)を参考にしようと。その分、仕事終わりの時間が遅くなりそうですし、まじめな日本人の気質からして「従業員が2時間も昼寝している」なんてことは、実現不可能かもしれませんね。社会の現場・学校の現場におられる方にとっては、どう思われるでしょうか? 給食の後、あくびを必死にがまんしながら、授業を受けている学生さんにはシエスタは必要でしょうか?

今日の聖書箇所で、パウロが小アジア(今のトルコ)の中心都市エペソ(エフェソス)で宣教をしていますが、9節の「毎日ティラノの講堂で論じた」のは、町の人々が長めの昼休憩をしていた時間だろうと言われています。ある聖書の写本では「毎日午前11時から午後4時ごろ」だったと記されているのだそうです。

当時エーゲ海に面していた港町エペソ は、貿易の拠点として大変栄えていました( 現在は遺跡が残っているのみ。もとは港湾都市であったが、土砂の堆積により現在は海岸から離れている。2015年に世界遺産リストに登録された)。パウロは、第3回目の伝道旅行の途上にあります。前回、第2回目の伝道旅行の際には、エペソの町はちょっと立ち寄っただけで、すぐに去らなければなりませんでした。今回、初めて本腰を入れてエペソで開拓伝道をし、ゆっくり教会形成に取り組もうとしています。

アジア州の都町エペソには、ユダヤ人が大勢移り住んでいました。パウロはどの町でもそうするように、まず同胞ユダヤ人たちがいる会堂=ユダヤ教のシナゴークに入って行って福音を大胆に語ります。

3ヶ月間、会堂で伝道することが許されました。しかしエペソでも、福音に反発し、みんなの前でキリスト教を誹謗中傷する人が現れます。そこでパウロは別の場所、ティラノという人が開いていた講堂で福音を論じました。ティラノの講堂、今で言えば公民館や貸しホールで伝道をしたという感じです。

先ほど触れましたように、そこでパウロが語っていた時間が、毎日午前11時から午後4時ごろだったと考えられています。午前の仕事を終えてお昼ご飯をとり、昼寝をする時間帯でした。ちょうどティラノの講堂が空いている時間帯だったのかもしれません。

日差しがきつく暑い中、他の人たちはのんびりと昼寝をしている時間帯、真理を求めてイエス様の福音を聴こうと、ティラノの講堂に集まって来る人たちがいました。

パウロも、午前中は仕事をしていたようです。12節に「彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛け」とあります。手ぬぐいや前掛けを身に付けて、天幕作りの仕事をしていたのでしょう。そして午前中の仕事が終わるとすぐにティラノの講堂まで出かけて行って毎日、福音を語ったのです。

みことばを聴きたい、イエス様の救いのメッセージを聴きたいと、人々が次々にやって来ました。10節には「これが二年続いたので、アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた」と。エペソは貿易の中心地、そして都でした。各地から人々が入って来ました。また町にはアルテミス神殿という、絢爛(けんらん)豪華(ごうか)なギリシア神話の女神の神殿がありました。アジア州各地から、巡礼者・参拝客が訪れていました。各地からエペソに上京した人たちが、パウロ先生の評判を耳にし、話を聴こうと、ティラノの講堂に集まって来たのです。「アジアに住む人々はみな・・・主のことばを聞いた」とは、そういうことでしょう。

私は福井市に来て1年数か月経とうとしていますが、「これまで、どれだけの人に、みことばを語ることができただろうか?」と思うと恥ずかしくなります。「いったい何人にイエス様を紹介できただろうか?」と申し訳なくなります。パウロが2年間でアジア州全域の人々に主のみことばを伝えた。そのすごさ・力強さに圧倒されます。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない」この宣教姿勢は、エペソの町でも変わりませんでした。

後に、アジア州にはエペソ教会、コロサイ教会、ラオディキア教会と各地にイエス様を信じる教会が建てられていきます。「ヨハネの黙示録」の2章、3章には、そんな小アジアにある7つの教会に向けて語られた、みことばがあります。

この時、ティラノの講堂でパウロから福音を聴いた人たちが信仰を与えられ、各地に帰って行って、そこで教会を建て上げて行ったのではないでしょうか? エペソは、小アジア宣教のセンター基地。小アジアの宣教の中心地となったのです。

大都市であり、ギリシア神話の宗教都市でもあったエペソです。町には、人をだますまことしやかなまじないや魔術・占い・またお札(ふだ)やお守りといった類(たぐい)のもので満ちていました。そういったもので人の心を引き付け、お金儲けをしようと企む人たちがいました。今の私たちの国も似ていますね。

パウロにはこの時、神様から特別な力を与えられていました。病気の人を癒し、悪霊に囚われた人を救い出す奇跡を行う力が神様から与えられていました。「身に着けていた手ぬぐいや前掛け」までも、その力を発揮するほどでした。

それを見て「俺たちもまねしてやろう。そうすればパウロのような有名人になれて、金儲けできる」と、不純な思いでパウロを見つめていた人たちがいました。ユダヤ人の魔よけの祈祷師たちです。彼らは信じてもいないのに、ためしに「イエス」様の御名を唱え、悪霊を追い出そうとします。しかし、かえって悪霊にそのことを見破られ、ひどい被害をこうむったのです。それを見ていた人たち。そのうわさを聞いた人たちは、旧約聖書の十戒の一節を思い出したでしょう。十戒の第3の戒め、「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない」(出エジプト記20:7)

「ああ本当だ…神様のお名前(権威・力)、イエス・キリストのお名前を軽々しく、不純な思いで唱えると、とんでもないことになる。」実際に、その事実を見せ付けられたのです。私たちが皆、聖い絶対者なる神様の御前に生かされている厳粛な事実を知らされたのです。そして自分はこの神様の御前にあって、顔を上げることもできない罪人だという事実を示されたのです。

17,18節「このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになった。そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした。」

神様の力・神様の聖さ・神様のみことばの前に、エペソの人々はひれ伏したのです。恐れを覚えたのです。それぞれ示された罪を、秘密にしていた罪を告白し、悔い改めようと、主の御前に進んで行きました。

みことばが語られる時、みことばが心に迫ってくる時、そこに聖霊が働く時に、私たちは自らの罪を示されるのです。そして絶望し、ただただ主の前にひれ伏すしかできなくなるのです。まだ気付いていない罪、隠れて行っている罪、心の中に闇があります。止めようと思ってもずっと止められないでいることがあります。

私たちもそこから悔い改めましょう。どうしようもなく、弱くてみじめで、陰湿な自分であることを正直に認めましょう。そこからイエス様の十字架を見上げていきましょう。神様に罪を赦して頂き、そこから立ち上がっていける幸いを得て、生きていきたいと願います。神のみことばを聴いて、真剣に応答して歩んでいく私たちでありましょう。

エペソの人々はイエス様を信じ、罪を告白しました。そして神の子とされた新しい歩みを始めるために、古い自分を脱ぎ捨てようとしました。これまで頼りにして来たものすべてを焼き捨てたのです。19節「また魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると、銀貨五万枚になった。」

いさぎよく、さわやかです。銀貨5万枚、今のお金にして300万円とも400万円とも言われる大金です。本当にたくさんの魔術の本が焼かれました。私のようにケチな人間は、「焼き捨てないで、古書店などに売りに行けば良いのに…」と思ってしまいますが、エペソのクリスチャンたちは、はっきりと過去の自分、イエス様を信じる以前の虚しい歩みから決別しようと、魔術の本をすべて焼き捨てたのです。

私たちもいろいろと余分なもの、必要以上のものを持ってはいませんか? 神様との時間を邪魔するもの。みことばを開き、祈ることよりも、優先したくなってしまうものがないでしょうか。

スマホやマンガ、インターネット、動画にゲーム、テレビ番組、音楽、新聞、スポーツ、ファッション、おやつにご馳走、仕事、友人とのおしゃべりなど、人それぞれ自分の好きなもの、こだわっているもの(推し)、一生懸命集めているものがあるのではないでしょうか?

それらは神様が「私たちを楽しませよう」と与えてくださった良いものであるかもしれません。しかし、それらが私たちにとって神様以上の価値を持ってしまっているならば本末転倒でしょう…。

私は2003年の春、神学校に入学する際、多くのものを捨てる、手放していくという経験をさせられました。神学校の独身寮はだいだい8畳くらいのスペースに二人で生活します。そこに二段ベッドと、2つの学習机と本棚が入りますと、他の私物はほとんど置けません。神学校入学前、寮を見学した時に先輩から「勉強するための卓上電気スタンドと、布団セットくらいの荷物で来てください」と言われました。

私は神学校入学まで6年間、一人暮らしをしていました。無いようでいて多くの余分なものに囲まれて生きていました。好きだった野球マンガ(あぶさんシリーズ)やプレーステーション(ゲーム機)とたくさんのゲームソフト、そういったものを人にあげたり、リサイクルショップで売ったりして、できるだけ荷物を減らして、神学校に入って行きました。それも大事な訓練だったのでしょう。

それでもすぐに余計なものを買い込み、それらに囲まれてしまいます。余計なものに頼ってしまう私です。そして余計なことに時間とエネルギーを費やしている私がいます。エペソのクリスチャンのようないさぎよさ、純粋な信仰を持ちたいなあと思います。「必要なことは一つだけです」(ルカ10:42)このイエス様のみことばを私たち自身の生活に適用していきたですね。

エペソの町では、こういった一連の出来事の結果、何が起こったでしょうか? キリストを信じ、変えられたクリスチャンたちの姿は、町にどのような影響を与えたでしょうか? クリスチャンたちが、純粋にみことばに聴き従い、実際に生きている姿を通して、周りの人々は何を感じたでしょうか?

20節「こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった」のです。パウロ先生の評判が高くなったのではありません。クリスチャンたちにスポットライトがあたったのでもありません。ただ神様にのみ人々の目が向いたのです。主のみことばの素晴らしさ、力強さだけが驚くほど広まったのです!

私たちの歩み、私たち教会の歩みもそうありたいと願います。私たちの心に、主のみことばが蒔かれ、しっかりと育ち、成長する。私たち自身が、みことばの素晴らしさに感動し、圧倒される。そんな私たちを通して、みことばの真実さ、みことばの力強さが周りに知られていく。そのような生涯を送って生きたいと願います。

「あの人たちが信じている神様はすごい。あの神様のことばは本物だ!本当だ!この世のどんな名言・格言とも違う。優れた歴史上の偉人が残した言葉とも違っている。力あることばだ。その通りに実現する神様のことばだ。聖書を買って読んでみたい!」そのように、みことばの力強さが素晴らしさが、この地域でも知られ広がっていきますように。

先ほど交読しました詩篇119篇105節「あなたのみことばは 私の足のともしび、私の道の光です。」

祈りましょう。

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