使徒の働き 20章13―27節
13. 私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて船出した。そこからパウロを船に乗せることになっていた。パウロ自身は陸路をとるつもりでいて、そのように決めていたのである。
14. こうしてパウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミティレネに行った。
15. 翌日そこから船出して、キオスの沖に達し、その次の日にサモスに立ち寄り、さらにその翌日にはミレトスに着いた。
16. パウロは、アジアで時間を取られないようにと、エペソには寄らずに航海を続けることに決めていた。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたいと、急いでいたのである。17. パウロはミレトスからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼び寄せた。
18. 彼らが集まって来たとき、パウロはこう語った。「あなたがたは、私がアジアに足を踏み入れた最初の日から、いつもどのようにあなたがたと過ごしてきたか、よくご存じです。
19. 私は、ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で、謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました。
20. 益になることは、公衆の前でも家々でも、余すところなくあなたがたに伝え、また教えてきました。
21. ユダヤ人にもギリシア人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。
22. ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。
23. ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。
24. けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。
25. 今、私には分かっています。御国を宣べ伝えてあなたがたの間を巡回した私の顔を、あなたがたはだれも二度と見ることがないでしょう。
26. ですから、今日この日、あなたがたに宣言します。私は、だれの血に対しても責任がありません。
27. 私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。
聖餐礼拝メッセージ
2023年9月3日
使徒の働き 20章13―27節
「福音を証しする任務」
使徒の働き20章13~15節には、幾つもの地名が出てきます。アソス、ミティレネ、キオス、サモス、そしてミレトス。どれも当時は、海に面していた港町や島の名前です。今のトルコの西の端、エーゲ海や地中海に面する町々でした。
ここ福井県の越前海岸や若狭湾にも多くの港町がありますね。江戸時代には大阪から日本海ルートで東北や北海道をつなぎ、各地の特産品などを運んで、商売していた北前船が福井県内の港にも寄港したとか。小浜、敦賀、南越前町、三国湊には当時の痕跡も残っているそうで、いつかは行ってみたい場所です。
トラックや貨物列車、バス・飛行機などが無かった時代、パウロが旅をしていた頃も、陸路での移動よりも、海の上を船で移動する方が、楽で確実だったのでしょう。第3回伝道旅行を終えて帰ろうとするパウロたち一行は、船に乗り込みます。16節に、パウロは五旬節=5月か6月のペンテコステの頃までには、エルサレム教会へたどり着きたい。そして各地の教会からあずかった献金を手渡したいと願っていました。
けれども2,000年前の船旅です。どんなに「急がなきゃ」とあせっても、旅は風任せでした。帆をあげ、風を受けて進む帆船(はんせん)です。のんびりした船旅だったのでしょう。ちょっと進むと次の港に停泊し、水や食料を補給し、良い風が吹くのを待つ。そんな旅路だったのではないでしょうか。
15節の最後に出てくるミレトスの港にしばらく船が停泊することになったようです。パウロは、そこから北に60キロメートルほどいった場所にあるエペソの教会の長老さんたちに、どうしても会っておきたいと考えました。エルサレムへと先を急ぐため、エペソの港には立ち寄りませんでしたが、最後にどうしてもエペソ教会の信徒たちに伝えたいことがあったのです。
使いの者が60キロの道のりを歩いてか船で移動し、エペソ教会から長老たちを呼び寄せて来ます。そして18節以降、港町ミレトスでパウロが、エペソ教会の長老たちに語ったメッセージが残されています。パウロは主イエス様のために死ぬこと=殉教を覚悟していました。エペソの仲間たちに会うのは、これで最後だという意識でこのメッセージを語りました。ですから、「パウロの遺言説教」または「訣別(けつべつ)* 説教」とも呼ばれています。今日はその前半部分に注目し、来週、後半部分を見ることにします。
* 訣別:きっぱりと別れること
エペソ教会の長老たち。「長老」という立場は、パウロがいなくなった後、教会を守り、信徒たちを教え導く霊的リーダーのことです。今で言えば、牧師にあたる存在でしょう。長老たちに「愛するエペソ教会を託したよ。あの信徒たちをよろしく頼むよ」とパウロは真剣な思いで、このメッセージを語ったのです。
まず18~21節で、これまでパウロがエペソで示してきた伝道と牧会の姿勢を語ります。この時代には、まだ新約聖書は出来ていません。「イエス・キリストを信じる教会とは何なのか」、「牧師・伝道者はいかに生きるべきなのか」。そのようなことが文字にも本にもなっていない時代です。現代のように牧師を養成する神学校があって、「牧会学」や「宣教学」といった授業があり、教科書が揃っている時代ではありません。
パウロはお手本として、生きた教材として「私」を見てほしい。「私」がしてきこと、「私」が語ったことを思い出してほしいと、情熱を注いで語るのです。パウロは他の箇所でも「私のようになってください」と語っています(使徒26:29、ガラテヤ4:12)。
私たちもパウロの宣教への情熱・その姿勢を学んで、少しでもそう生きたいと思います。イエス様の福音を何とかしてひとりでも多くの人に伝えたいと願う生き方です。パウロのメッセージから、“〇〇ever” という5つの英語の単語が思い浮かんで来ました。
- まず However です。「しかしながら、けれども」という意味と同時に、「どんなに~でも」という意味もあります。どんな状況でも、どんな場合でも、イエス様を伝えて来たパウロでした。
19節で「私は、ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で、謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました」と語っています。馬鹿にされても腹を立てないように忍耐しながら、エペソで伝道をして来た。涙を流さざるを得ないようなつらい状況に立たされても、エペソ教会を牧会して来た。同胞ユダヤ人から危害を加えられそうになっても、どんな状況に置かれても、主イエス様に仕えてきた。この姿勢に倣ってほしいとパウロは訴えたのです。
2. 二つ目は、Whatever「何でも」です。イエス様の福音について、また神様のご計画について、残すところ無くすべてを語り尽くそうとする姿勢です。
20節で「益になることは、公衆の前でも家々でも、余すところなくあなたがたに伝え、また教えてきました」と語っています。また27節では「私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです」と言います。イエス様の救いのすばらしさ、神様恵みの豊かさ、愛の深さ、神様のご計画の偉大さを語りたくてたまらない。そんな思いです。
3. 三つ目は、Wherever。「どこであろうとも」です。
20節に「公衆の前でも家々でも」と語っている通り、使徒の働き19章を見ますと、パウロはエペソの町に入って行った時、まずユダヤ人の会堂で福音を大胆に語り、そこを出て行かざるを得なくなると、次はティラノの講堂で毎日、多くの人たちに福音を証ししました。当時はキリスト教会の「教会堂」といった専用の建物がまだ無かったので、クリスチャンたちは、誰かの家を集まる場所にし、礼拝をささげ、祈り会をしていました。パウロは、そういった家々の教会をまわって、みことばを教えたのです。どこにでも出て行って、福音を伝えたのです。
4. 四つ目は、Whomever、「誰に対しても」です。
21節「ユダヤ人にもギリシア人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。」 どんな人種の人も、どんな人も、まことの神様に立ち返り、悔い改めなければならない罪人です。そして、どんな人であっても、主イエス様の十字架を信じることによって救われるべき人たちなのです。ですから、誰に対しても、どんな人にも、はっきりと福音を届けていく。これが、パウロの宣教姿勢でした。
5. 最後五つ目は、Whenever、「いつでも」です。
来週の聖書箇所になりますが、31節で「ですから、私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい」と語ります。エペソにいた三年間、毎日、夜も昼もずっと、いつでも福音を語り続けてきた。みことばを教え、信徒たちを導き続けてきた。すごい情熱、すごい熱心さです。パウロをここまで宣教と教会形成に駆り立てたものとは何だったのでしょうか? なぜ、ここまで!この情熱はどこから沸いて来たのでしょうか?
24節にヒントがあるような気がします。「けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」 主イエス様から、福音を証しする任務を与えられているのだという使命感とその喜びです。「任務」と訳されている言葉には「給仕の仕事やお世話係」といった意味もあります。イエス様のしもべとして任された務めがあるのです。
パウロにとって、初めてその任務を任されたのは、あのダマスコの町においてでした。パウロはクリスチャン迫害の先頭に立ち、クリスチャンを見つければ縛り上げ、牢屋にぶちこんで来ました。ダマスコへ向かっていたのもそのためでした。「あのイエスが神の子=救い主であるはずがない!」と、猛烈に反発していたパウロに、主イエス様が現れてくださり、新しい人生を与えてくださったのです。キリストを迫害する人生から、今度はキリストを証しする人生へと180度、人生が変えられました。「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です」(使徒9:15)
とんでもないことをしてしまった自分が…赦された。救っていただいた。こんな自分が滅ぼされず、罪赦されて、生かされている。しかも何があっても朽ちることのない永遠のいのちにあずかっている。さらに、新しい使命、この福音を世界中に、異邦人のもとへ届けるという新しい使命を与えられた。
パウロは、あの時の感謝、あの時の感動をずっと忘れることが出来ませんでした。イエス様の十字架、イエス様の身代わりの死によって、私がしでかしてしまったとんでもない罪が赦される。あり得ないような恵みを神様からいただいている。パウロは一生涯、この喜びを持ち続けていました。だから、いつでも、どこでも、誰に対しても、どんな状況下でも、福音を証しする任務に生き続けることができたのです。
先ほど交読したパウロによるローマ人への手紙1章14、15節には、「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです」と、イエス様の福音を伝えることが、私にとってイエス様にお返ししなければいけない負い目(借金)だ。絶対に返しきれないとんでもない恵みをいただいた者として、できるか限り精一杯のことをしたい、命がけでそれをしたい、パウロはそんな思いだったのではないでしょうか。
またコリント人への手紙 第一 9章16節でも「私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです」とまで語っています。福音を宣べ伝えることは、どうしてもしなければならないことだと。
家族が救われるために、友が救われるために、福井の仲間たち、日本の同胞、アジアの同胞、世界中の人たちがイエス様を信じて救われるために、私が、あなたが福音を宣べ伝えていく。それは、どうしてもしなければならないこと。他の誰でもない、あなたが、私がどうしてもしなければならないこと。そんな思いを、そんな情熱を与えられていきたいと願います。こんなにも大事な任務(使命)を託されていることを覚えながら、それを少しでも実行できる者となりたいと思います。
これから9月の聖餐式にあずかります。私のために、私の身代わりにうたれ、罰せられ、十字架で死んでくださった主。私の罪をすべて肩代わりし、赦しを完成し、 救い出してくださった主。そしてよみがえって、今も後もとこしえにともにいてくだる主イエス様を覚えながら、この福音の喜びをしっかりと覚えていきましょう。
祈ります。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
キリスト教プロテスタントの教会です。 毎週日曜日の午前10時半から📖「礼拝」を、 毎週水曜日の午前10時半から🙏「聖書の学びとお祈りの会」を行っています。 クリスチャンではない方も、どの国の方でも、 👦 👧 👨 赤ちゃんからお年寄りまで 👩 👪 🙍 「礼拝」や「お祈りの会」にご自由にご参加いただけます。 🏡 家族のようなあたたかな教会 ♰ この町の教会 あなたの教会です。
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