使徒の働き 20章28―38節
28. あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。29. 私は知っています。私が去った後、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、容赦なく群れを荒らし回ります。30. また、あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう。31. ですから、私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。32. 今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。33. 私は、人の金銀や衣服を貪ったことはありません。34. あなたがた自身が知っているとおり、私の両手は、自分の必要のためにも、ともにいる人たちのためにも働いてきました。35. このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」36. こう言ってから、パウロは皆とともに、ひざまずいて祈った。37. 皆は声をあげて泣き、パウロの首を抱いて何度も口づけした。38. 「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう」と言った彼のことばに、特に心を痛めたのである。それから、彼らはパウロを船まで見送った。
礼拝メッセージ
2023年9月10日
使徒の働き 20章28―38節
「神の教会に仕える務め」
先週日曜日の礼拝では、パウロがエペソ教会の長老たちを港町ミレトに呼び寄せて、「遺言説教」とも言われている、どうしても伝えておきたい大切なメッセージを語った。その前半部分のみことばを聴きました(20章17-27節)。今日は続く後半部分です。この箇所から三つのことを教えられたいと願っています。一つ目は「教会とは何なのか?」。二つ目は「教会に立てられた牧師や、役員・長老・執事など信徒リーダーの務めとは何なのか?」。そして三つ目は「私たち教会に属するみなに共通する務めとは何か?」です。
1. 教会とは何なのか?
皆さんは「教会」という言葉を聞いた時、どのようなイメージが沸いてくるでしょうか? - 赤いとんがり屋根の上に白い十字架が掲げられた建物でしょうか? - あるいは、ここ福井中央キリスト教会の建物が思い浮かぶでしょうか? けれどもそれは「教会堂」であって、教会そのものではありません。教会は建物や場所ではありません。
じゃあ、何なのかと言いますと、新約聖書の原語であるギリシャ語で、教会は「エクレーシア」という単語です。「召し出された者の集まり」という意味です。教会は人間の思いや計画を超えて、神様が選び出し、神様が呼んでくださった人々の集まりです。イエス・キリストを信じる私たち、神の家族の兄弟姉妹みなが教会です。今日ここに集められた私たちが教会、この群れが教会です。
パウロは28節で「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会」と語っています。主イエス様が十字架の上で、ご自身の体内の血を流し尽くしてくださって、買い取られた私たちです。罪深い歩みをしていた私たちです。まことの神様を無視し、自分勝手に歩んでいました。けれどもそこには、虚しさしかありませんでした。そんな私たちを救い出すために、神のひとり子イエス様は私たちの身代わりにいのちをささげてくださったのです。とんでもないことです。そこまでして、私たちを罪と悪魔の支配、死の恐れ、永遠のほろびから取り戻そうとしてくださり、私たちをご自身のもの、神の子としてくださったのです。パウロは別の聖書箇所で、教会に連なる一人ひとりを、「キリストが代わりに死んでくださった、そのような人」(ローマ14:15)と表現しています。私たち一人ひとりに、イエス様のいのちがかかっているかけがえのない大切な存在です。
また私たち教会の主権者は、三位一体なる神様です。28節に「神の教会」とあります。人間が主人の「人間の教会」ではありません。また「神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです」とあるように、聖霊なる神様が教会に監督(牧師、リーダー)を立ててくださいます。父・子・聖霊なる三位一体の神が教会の主権者でいてくださり、導き手です。主なる神様が私たち教会を守っていてくださるのです。
だからパウロは、もう自分が再びエペソ教会に行くことはないことを分かった上で、こう言い残します。32節「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます」 残していくエペソ教会のクリスチャンたちを神様が確実に守り導いてくださる。そう信じたのです。神のみことばによって一人ひとりが成長させられ、天の御国で永遠のいのちを確実に与えられる。そう信じて、パウロはエペソの教会を神様の御手に委ねました。
2. 教会に立てられた牧師・長老・執事の務めは何なのか?
今、私たちの教会には役員会はありません。色んなことを牧師と皆さんで話し合い、神様のみこころを求めつつ、決めながら進んでいます。しかし多くの教会には役員会があり、長老や執事がいたりします。他にも教会学校の校長先生、婦人会長、壮年会長、青年会長などの信徒リーダーが立てられています。将来、私たちの教会でもそんな信徒リーダーが立てられることを期待しながら、みことばを見ていきましょう。
28節の最初に「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい」とあります。教会のリーダーの大切な務めは、まず自分自身の信仰・姿勢・言葉に注意深くあることです。自らの心、たましいが渇いていないどうかに注意します。まず自らの生活、信仰姿勢を、きちんと見つめていく必要があります。私自身そうあらねばと思います。
その上で、教会のリーダーの大事な務めは、群れの全体に気を配ることです。羊飼いが羊一匹一匹の状況をよく知っていて、一匹一匹を大事に世話しているように。そして群れ全体の安全と健康を、いつも気にかけているように、教会のリーダーたちは、教会の一人ひとりを大切にし、教会全体のことをいつも考えていきます。
そのために教会のリーダーたちに求められている特に大事な務めは、私たち羊たちが迷い出たり、まがいものにだまされたり、傷つけられたりしないように、きちんと守っていくことです。
29節から警告されているように、パウロが去った後、エペソ教会には間違った教えを持ち込む者たちが現れるようになります。後にエペソの教会の牧会者となるテモテに宛てて書かれた手紙、第Ⅰテモテ1章の冒頭には、エペソ教会に様々な異端の教えが入り込んでいたと書かれています。また先ほど交読したヨハネの黙示録の2章にもエペソ教会の状況が語られていて、聖書が語る福音に反する「偽りの教え」を語る偽預言者、偽教師がやって来たと記されています。
教会には時にキリストの愛から引き離そうとする「悪の力」が迫って来るのです。「狂暴な狼」のような存在に攻撃されることがあるのです。狼が「狼」のなりをして来るとは限りません。イエス様は「偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。」(マタイ7:15)と注意しくださいました。
この世でも同じではないでしょうか。悲しいかな…〇〇詐欺の被害はずっと止むことがありません。あの手この手を使って、人を脅し、だまして、奪い取って、お金儲けを企む悪しき人たち。彼らは「狼」の姿を最初は決して見せないでしょう。「羊」のように良い人を装いながら、すきを狙って私たちを攻撃して来ます。
また30節に、「また、あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう。」とあり、外からと同時に内側からも、悲しいことですが、時に教会は揺さぶられてしまいます。罪赦されて新しい人に変えられているはずなのに、まだ古い自分=自我が残っていて、それが私たち教会の交わりを破壊してしまうことがあるのです。
このような現実をわきまえた上で、神様から立てられた教会のリーダーたちは、神様を信頼し、祈りながら教会に仕えていくのです。牧師や長老・執事・教会学校の先生たち、それぞれ奉仕にあたる一人ひとりは、神様のみことばにいつも立ち返りながら、まがいものにだまされないようにと「自分自身と群れの全体に気を配り」教会に仕えていきます。
3. 私たち教会に属するみなに共通する務めとは何か?
福井中央キリスト教会に属する私たちは、神様の一方的恵みによって、ここに導かれた者たちです。みなが神様に愛されている神の家族の大切な存在です。そんな私たちみなに求められている務めは何でしょうか? それは互いに愛し合うことです。互いに思いやり、互いに励ましあい、互いにいたわりあい、互いに祈りあうことです。
35節には、このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」と語られています。イエス様が教えてくださったこと、イエス様が示してくださった歩みは、与える人生の幸いでした。「獲得しよう、自分のために欲しいものを手に入れよう」としてきた人生から、他者を愛し、他者のために喜んでささげる生き方をイエス様は示してくださいました。
けれども、それはいつも与えてばかりで、次第に喜びが消えていくような歩みではありません。すぐに「燃え尽きてしまう」人間的ながんばりでもありません。
聖書が私たちに教えていることは、「一方的にただ愛しなさい」ではなくて、「互いに愛し合いなさい」ということです。そのことを深く教えられる一冊の本と出会いました。『イエスの御名で』という本です。この本を書いたヘンリ・ナーウェンは、カトッリクの司祭であり、またハーバード大学などアメリカの超一流大学で神学を教える教授でした。しかし50代になったとき、神様の導きを感じ、すべての地位を捨てて、知的障がいを持った方の施設に移り住みます。天に召されるまで、そこで司祭として働きました。そこでの経験を通してヘンリ・ナーウェンは、多くのことを教えられ、神様の取り扱いを受けていきます。『イエスの御名で』という本の中に、次のような文章がありました。
「あなたはわたしを愛するか」と、イエスは三度ペテロに問われたのち、こう言われました。「わたしの小羊を飼いなさい。わたしの羊を牧しなさい。わたしの羊を飼いなさい」ペテロの愛を確かめてからイエスは、彼に牧会(ミニストリー)の務めを託されました。現代文化の中で育った私たちは、今やペテロが、あたかも英雄的な宣教に遣わされるかのように、非常に個人的な意味でこの言葉を受けとめるかもしれません。しかし、イエスが羊を牧するようにと言われるとき、あとにつき従う羊の大群の世話をする、勇敢で、孤独な牧者を、私たちが思い浮かべることを期待されません。むしろイエスはいろいろな仕方で、務め(ミニストリー)が共同のものであり、私たち人間相互の経験であることを明らかにしておられます。 (中略)私には共に祈ってくれる兄弟姉妹が必要です。果たすべき霊的な務め(タスク)について共に語り合える兄弟姉妹、また、私の心と思いと体が純粋で健やかであるように、チャレンジしてくれる兄弟姉妹を必要としています。しかし、さらにずっと重要なことは、癒すのはイエスであって私ではない、ということです。真理の言葉を語られるのはイエスであって、私ではありません。イエスが主であって、私が主なのではありません。 (中略)イエスは仕えるお方です。それゆえ私たちにも、仕えることを求められます。イエスがペテロに求めたのは、さながら「専門家」よろしく、自分に任された患者の問題を知り、治療を施すという仕方で羊を飼い、彼らの世話をしなさい、というのではありません。むしろ、相手を知ると同時に自分が知られ、世話をすると同時にこちらも世話をされ、赦すと同時に自分も赦され、愛すると同時に愛される ー そのような傷つきやすい兄弟姉妹として、羊を牧するようにと望まれたのです 。ヘンリ・ナーウェン著、後藤敏夫訳『聖書的リーダーシップを求めて イエスの御名で』(あめんどう、1993年初版)58―63ページ。
ヘンリ・ナーウェンは、こう記しています。神様が、私たちに託してくださった大切な務めは、互いに愛し合うという相互関係なのです。なぜなら、私たちはみな愛されなければならない存在だからです。私たちはみな、何らかの形で誰かにお世話をしてもらう必要のある傷つきやすい、弱さを抱えた人間だからです。失敗してしまうことは日常茶飯事で、良かれと思ってやったこと・言ったことで、人の心を傷つけてしまうこともあります。善い行いの裏側に、善人の仮面の裏側に、深い心の闇を抱えている私自身です。神様に赦され、人にも赦されなければならない存在です。
不完全な愛、限界だらけの愛しか持てない、そんな私たちであることを分かった上で、それでも神様は私たちを用いようとされるのです。神ご自身の無限の愛、無条件の愛をこの世界にもたらす器として神様は私たちを用いてくださるのです。
ミレトの港から船出していくパウロを、エペソ教会の長老たちは、抱きしめ、たくさんの涙とともに送り出します。互いに祈り合って、互いに励まし合って、それぞれの場所へと遣わされて行きます(使徒20:36―38)。
イエス様に仕え、神の教会に仕えていく働きは、互いに愛し合い、互いに励ましあい、祈りあい進められていくのです。
福井中央キリスト教会が、福音の理解、みことばの理解において、神様のみこころに近づいていきますように。互いに学び合っていきましょう。そして交わりと祈りにおいて、そこに神様のみこころが表されるように、互いに愛し合い、互いに成長していける、良い交わりを築いていきたいと思います。
お祈りしましょう。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
キリスト教プロテスタントの教会です。 毎週日曜日の午前10時半から📖「礼拝」を、 毎週水曜日の午前10時半から🙏「聖書の学びとお祈りの会」を行っています。 クリスチャンではない方も、どの国の方でも、 👦 👧 👨 赤ちゃんからお年寄りまで 👩 👪 🙍 「礼拝」や「お祈りの会」にご自由にご参加いただけます。 🏡 家族のようなあたたかな教会 ♰ この町の教会 あなたの教会です。
0コメント