「再び来られるキリスト」

ヘブル人への手紙 9章27,28節
27. そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、28. キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。

聖餐礼拝メッセージ

使徒信条シリーズ⑫

2024年7月7日

ヘブル人への手紙 9章27,28節

「再び来られるキリスト」


 先週も厳しい暑さの合間に、バケツをひっくり返したようなたくさんの雨が降りました。あふれ出た水が道路を流れている福井市内のニュース映像を見ましたが、皆さんの周りは大丈夫でしたでしょうか?

 大雨・氾濫・洪水と言うと、聖書の中では、ノアの時代の全世界を覆った大洪水を思い浮かべます(創世記6~9章)。イエス様は、先ほど交読したマタイの福音書24章で、ノアの時代のように多くの人が油断し、罪にふけり、自分勝手に欲望のままに生きている。そのような時に突然、天地が滅び去る日が来る。世の終わりの日。イエス様が再びこの地上に来てくださる日が、必ずあると警告なさいました。

マタイの福音書 24章 39節「洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。」

ここに出てくる人の子とはイエス様です。天に帰られたイエス様が再び天からこの地に来られる日があるのです。その日は終わりの日、完成の日です。私たちが当たり前のように過ごしている日々・日常生活が、その日、終止符を打たれるのです。

「世の終わり」、「世界の滅亡」などと聞きますと、私たちは恐ろしくなってしまいます。そんな縁起でもないことは考えないで、毎日を楽しんで生きていけば良いじゃないか。そんなふうに思うかもしれません。しかしクリスチャンにとって、世の終わりは絶望ではないのです。希望の日・喜びの日なのです。どうして、そうなのでしょうか?

ヘブル人への手紙 9章28節、「キリストも  - 、  二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます」そうです。イエス様の再臨は、私たちを完全に救い出し、天の御国へと引き上げてくださるためなのです。

イエス様は再び来られ、私たちを何から救い出してくださるのでしょうか?

1. 罪と悪に満ちたこの世界からの救い

この世界には、うそ・偽り、ねたみ・憎しみ、悪意、盗み・暴力・争い・欲望、不正・不条理・矛盾、犯罪が渦巻いています。今も学校や会社の中に「いじめ」があります。私が中学生だった頃も、学校は荒れていましたが、現代のようにいじめの様子をスマホのカメラで撮影し、その画像や映像をインターネット上に公開するような、そこまでの悪質なものはなかったように思います。

子どもだけではなく、子どもを健全に育てていかなければならない大人たちが、ひどく身勝手で、おぞましい悪を行っている現実もあります。

新約聖書最後のヨハネの黙示録に預言されているように、終わりの時代、イエス様の再臨が近づけ近づくほど、悪の力がはびこります。竜に例えられている悪魔が、神様と神の民に対して、最後の猛攻をけしかけて来ます。

悪魔は、この世の権力者や国家を獣のように横暴にし、さらに人々を獣のごとくおぞましい存在としていきます。イエス様が、マタイの福音書24章12節で「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。」と予告しておられるように、暴力や性的な不道徳、不正といったものがはびこっていきます。そして、「富や繁栄、力強さや華やかさ」といったものの前に、人々はひざまずき、偶像礼拝をしていくのです。

ヨハネの黙示録12章
7. さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちは竜と戦った。竜とその使いたちも戦ったが、8. 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。9. こうして、その大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者が地に投げ落とされた。また、彼の使いたちも彼とともに投げ落とされた。12. それゆえ、天とそこに住む者たちよ、喜べ。しかし、地と海はわざわいだ。悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、おまえたちのところへ下ったからだ。」

 そんな終わりの時代、クリスチャンに待ち構えているのは激しい霊的な闘いです。欲望のままに滅びに向かって行く世界の中で、クリスチャンは純粋に、ただただ主イエス・キリストを信じ、聖さと愛を保ち続けて行こうとします。それに対して迫害が起こるのです。

 イエス様の再臨の日、私たちは地上での激しい迫害・戦いから救い出して頂きます。罪と悪に満ちたこの世界から救い出して頂きます。イエス様は悪魔を滅ぼし、神様に従おうとしなかった者たちを正しくさばいてくださり、完全なる勝利を治めてくださるのです。そして私たちを神の御国へ、新しい天と新しい地に招き入れてくださいます。

2. 神のさばきから、永遠の滅びからの救い

ヘブル9章27節には「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」とあります。私たちは、やがて神様のさばきの座に立たされます。自分が地上でしてきた全てのことが神様の前で明らかにされる日が来ます。恥ずかしさと見たくない思いで恐ろしくなってしまいますが、そのさばきの場にイエス様がいてくださるのです。

28節「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ」とある通り、私のすべての罪を背負って、十字架でいのちをささげ、私の身代わりに罰せられ、死んでくださったお方が、そしてよみがえり天に昇り、神の右の座におられるお方が、私の救い主、私の最高の弁護者でいてくださるのです。

イエス様の再臨、それから始まるさばきの場において、私たちは完全に赦されている!救われている!ことを確認するのです。その日、私たちは「あぁイエス様の十字架によって私は赦して頂いた。本当に救われた。永遠のいのちを頂いている」と心の底から実感するのです。

 イエス様の再臨は、クリスチャンにとって救いの完成の日であり、希望の日です。イエス様の再臨を、私たちはどのような思いで、どのような姿勢で待ち望んでいったら良いのでしょうか?

大事なことは、イエス様が必ず再臨されることを信じ、そのことをいつも覚えながら期待し、待ち続けていくことです。

 イエス様が2,000年前、地上に来られた際(再臨に対して「初臨」という)あのクリスマスの日、いったどれだけの人がイエス様を待ち望んでいたでしょうか?野原にいた羊飼いたち、東方の博士たち、そしてエルサレム神殿で待っていたシメオンとアンナぐらいだったように思います。神のひとり子、救い主イエス様が、この地上に来てくださったのに、ほとんどの人はイエス様が来られることに無関心で、日々の生活に心奪われ、イエス様の来臨を無視したのです。

再臨の日も、そうなってしまうのでしょうか…? 現在どれだけの人が「イエス様、来てください」と再臨を待ち望んでいるでしょうか?

 イエス様の再臨は、いつなのかは知らされていません。黙示録を読んでも「幻」で示されているため、終わりの日について理解が難しいところもあります。本当にそのことが起こるまでは、私たち人間には隠されていることが多くあります。

 それでも私たちは「しかり、わたしはすぐに来る。」(黙示録22:20)と語られたイエス様の約束を信じ、心の目、霊の目を覚まして、イエス様の再臨を信じ、待ち続けていくのです。「アーメン。主イエスよ、来てください。」(黙示録22:20)と。

 

ある方が、若くしてお母様を天に送られました。深い悲しみの中で、クリスチャンであるその方は、こんな文章を記されました。

母が突然天に召された。
その日以前とそれ以降は、私にとって断絶されたまま。
「時計が止まったまま」とはよく言ったもので、

月や季節が移り変わっていくのが、他人事のようにしか思えない。

腹の底から笑うことも、なくなった。

その日から、悲しみは何も薄まってはいない。

けれども、同様にあの日から私の中にあるのは、深い慰めと確かな希望だ。

それは、母が今、神様のみもとで、永遠の平安の中にいるという慰め。

そして、また母と天の御国で再び会えるという確かな希望である。

天国がすごく身近に感じられるようになった。

これまで真心から祈れなかった「はやく御国が来ますように。」という祈りが、

本当に心から祈れるようになった。

再臨のときまで、私が正しく歩めますようにどうか神様、助けて下さい。

 私たちもこの方のように、天の御国の全き幸いを、そこで愛する家族や友と再会できる日が必ず来ると信じ、期待していきましょう。その日、この地上の歩みが終わりとなる日、イエス様の再臨の日まで、どうか御前に正しく歩めますように。私たちもそのような思いで、そのような祈りを日々ささげながら、歩んでいきたいと思います。

「どうか信ずべきお方を、私が信じ続けていくことができますように。」

「どうか第一とすべきお方を、何よりも大切にしていくことができますように。」

「どうか恐れるべきお方を、私が恐れ続けていくことができますように。」

「どうか従うべきお方に、私が従い続けていくことができますように。」

「ともに歩み続けてくださるお方から、私が目を離すことなく、このお方イエス様とともに歩み続けていくことができますように。」

そんな祈りを日々ささげながら、歩んでいきたいと思います。

これから7月の聖餐式にあずかります。みことばに、「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。」(Ⅰコリント11:26)とあります。

イエス様の再臨の日まで、私たちは地上で、まことの神様を、まことの救い主イエス様を地上から見上げ、礼拝し続けていきます。イエス様の御救いの尊さ、神様の恵みの偉大さを、いつも心の内で覚え、感動・感激・感謝していくために、キリストの御からだ・パンをいただきます。キリストの血潮・ぶどう酒をいただきます。そして主を礼拝し、主の食卓にあずかり続けていくことを通して、私たちはキリストの救いを・福音を告げ知らせていくのです。

祈りましょう!

父なる神様 

あなたは、主イエス様また聖霊様とともに、私たちに日々、働きかけ、

私たちをどんな時にもつまずかないように守ってくださり、

やがて再臨の日、さばきの場で、私たち一人ひとりをキリストの救いのゆえに

傷のない者として、罪赦された者として、立たせてくださることを信じ、

感謝いたします。

その日、私たちは大きな喜びをもって神様の栄光の御前に立たせて頂けます。

信じます。感謝します。

救い主イエス様・再び来てくださるイエス様のお名前を通してお祈りします。

アーメン

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