ルカの福音書 17章 20, 21節
パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」
礼拝メッセージ
主の祈りシリーズ ④
2025年1月26日
ルカの福音書 17章 20, 21節
「御国が来ますように」
今日は、主の祈りの2つ目の祈り「御国が来ますように」をともに考えていきます。最初の祈りは「御名が聖なるものとされますように」でした。それに続く「御国が来ますように」です。
私たちはまず、「父なる神様。あなたの素晴らしいお名前だけが聖とされ、ほめたたえられますように」と祈ります。続いて、「御国・神の国が、あなたの国が来ますように」と、心をこめて祈ります。神の国の「国」という言葉には「支配」という意味があります。「神様、あなたのご支配がなりますように。この世界があなたによって支配されますように」と祈るのです。と言うことは、現実はそうではないということです。悪魔が、悪が、私たち人間の罪が、神様のご支配を妨げていると言えるでしょう。「その支配が、ちゃんと真の支配者の手に戻りますように。神様のもとに戻りますように。支配者が変わりますように」と私たちは祈るのです。
では普段、私たちが考える「支配者が変わった。または国が変わった」とは、どんな状況でしょうか? どのような場面でそれを実感するでしょうか? 自分が応援している政党や政治家が選挙で当選した時でしょうか? または国や市町村のトップ:大統領・総理大臣・県知事・市長・町長などが交替する時でしょうか? それとも、極限状態に置かれた人たちが:横暴な独裁者によって日々、緊張を強いられ、本音を言えないでいる人たちが、そこから解放された時でしょうか? 自由や独立を勝ち取った時に、支配者が変わったと実感するでしょうか? 強国に植民地支配され、圧迫され、苦しめられている人たちが、独立を勝ち取った時に、「国が変わった、支配者が変わった」と実感するでしょうか。
戦争などによって国境線が動いた時に、自分たちの領土が広がったり減ったりした時に、国が変わったと実感するでしょうか。普段、私たちが考える国とか支配者というのは、どうしても地理や歴史の授業で習った国境線があって領土や領海・領空があってというこの世界での国家というものをイメージしてしまいます。
それに対して、イエス様がもたらそうとされた神の国は、普段、私が考える国家とか国土、そういったものは別次元のものでした。それなのに約2,000年前、神の子イエス様がこの地上に降りて来てくださった時、人々はイエス様に「この地上に王国を築いてください。私たちのために独立国家を勝ち取ってください」と誤った期待を向けてしまいました。12弟子たちもそうでした。
マタイの福音書 20章 20, 21節
そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが彼女に「何を願うのですか」と言われると、彼女は言った。「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」
12弟子の中の2人、ゼベダイの息子たち;あのヤコブとヨハネのお母さんがイエス様のところにきて、ひれ伏して懇願します。「私の2人の息子を、イエス様あなた様の王国で良い位に就けてやってください。あなた様が王座に着かれた時、その右隣と左隣にうちの子たちが座れると確約してください。うちの子たちを外務大臣や官房長官クラスに」という母親の切なる願い。その背後には、息子たちの野望・願望があったでしょう。ヤコブとヨハネだけではありませんでした。ペテロはじめ弟子たちは、みな同じようにイエス様に期待しました。
使徒の働き 1章 6節
そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
イエス様の十字架の死と復活を目撃した後であるにも関わらず、弟子たちは相変わらず、「主よ、今こそイスラエル独立国家を」と期待したのです。ローマ帝国に蹂躙され、圧迫されて日々を過ごしていました。重い税金を課せられていました。その植民地支配から我々ユダヤ人を解放してほしい。そのリーダーとしてイエス様に立って欲しい。そして新しい国王になってほしいと、弟子たちもイエス様に誤った期待を寄せてしまいました。そんな目に見える王国。この世の王国を求める人々に対して、イエス様は語りかけます。
ルカの福音書 17章 20, 21節
「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」
神の国は、目にみえる形で来るものではありません。ここだ、あそこだと言えるようなものではありません。神の国はあなた方のただ中にあるのです。神の国、神のご支配は、世界中のみんなから注目され、脚光を浴びるようにして来るものではないのです。今で言えば、外国の指導者の就任式に世界中のマスメディアが集まり、その様子が全世界に生中継される。私たちはそんなニュースをここ最近見ていますが、イエス様は、そのように神の国が来るのではない。そのようにして神様の支配をもたらすのではないと、おっしゃるのです。注目されたり、インターネット上でそれが配信されたりするようなことは無いでしょう。しかし、イエス様がもたらされる神の国は、今も目立たずに、でも着実に広がっているのです。
国境を変えたり、国の体制を変革したり、指導者が変わったり。そんなふうに周りの状況が変わる、革命的なことが起こる。環境が変わることによって神の国が広がるのではないのです。目立つことなく、派手な演出などもなく、神の国はまずあなたの心の中に、私たちの心の中に始まり、そして広がるのです。
「神の国はあなた方のただ中にある」とイエス様は言ってくださいました。まず神様があなたの心を変えてくださる。まず神様が、あなたたち一人ひとりを造り変えてくださる。新しく生かしてくださる。そんな心の中の革命が起きて、それが次から次に広がっていくことによって、神様の愛の国・神様の赦しの支配が、神様の恵みの世界が広がっていく。イエス様がもたらそうとされた神の国は、あなたが救われ、そしてあなたの隣の人が救われ新しく生まれていく。そのようにして神の国が拡大していく。それが「神の国があなたのただ中にある」ということではないでしょうか。
マルコの福音書 1章 14, 15節
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
人々の前に、公に出て行かれるに際し、イエス様は開口一番、こう言われました。神の国は罪を悔い改めて、まことの神様に立ち帰り、福音を:イエス様の救いを信じる私の心の中に実現して行くものなのです。
私たちの毎日の生活においては、自分ではなくて、まず周りが変わってほしいと願ってしまいます。今の人間関係、今、置かれている状況が、正直けっこうしんどいな・苦しいな。なんか縛られていて嫌だなと感じてしまうと、私たちはすぐに自由になりたい。この問題から早く解放されて清々したい。そんなふうに考えます。会社に行けば、嫌な上司と毎日顔を合わせなければならない。あの人には違う部署に異動してほしいなあと心の中で願ってしまいます。学校で理不尽なことを要求してくる部活の先輩を前にした時、あともうちょっとで引退だ。今度は、俺たちの番だと。先輩がいなくなること願っている。そんな私たちです。イエス・キリストは、そういったあの人をいなくしてください。あの人を変えてくださいという、周りを変えようとする私たちの思いを「違うよ」と指摘してくださるのです。
自分のせいじゃなくて、周りのあいつのせいだ・環境のせいだと、状況に責任転嫁をしてしまう。そうではなくて、あなた自身がまず変えられていくと。あなた自身が変わっていくこと。それこそ、あなたが本当の意味で自由になれる秘訣なんだ。解放されていく生き方なんだ。そこに神の国が始まっていくんだと。教えてくださっているのではないでしょうか。
あの人ではなくて、神様、まずこの私を変えてください。あの人を「愛の人」に変えてくださいではなく、まず私を造り変えてくださいと、私たちは祈り始めてみてはいかがでしょうか。神の国はあなたの中に新しい変化をもたらします。あなたが変わっていくことで、あなたの心が変えられていくことで、あなたは本当の自由を神様から頂くのです。それは小さな変化かもしれませんが、大きな変化を生み出します。
繰り返します。神の国が私のただ中にという祈りは。まず、私自身が変えられることを願い求めることです。私の心がイエス様に喜ばれる心に変わりますように。私の生き方が・価値観が・私という存在そのものすべてがイエス様のように造り変えられますように。新しくしてくださいと祈り求めていくことです。それは何よりも。私たちの心の王座を占めている王様が変わっていくことが大事です。何を大事にしているのか、何を一番大事にしているのかが変えられていくことです。イエス様は「まず神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33)と第一にすべきものを教えてくださいました。
私たちは神の国。神様によって支配されるよりも、他の物を自分の心の王座に置いてしまうときがあります。それは、お金かもしれません。名声かもしれません。自分の欲望や願望、野望が達成されることかもしれません。家族や大切な人が、神様よりも優先されてしまうかもしれません。神の国を後回しにして、イエス様の願っていることを後回しにして、まず自分の願いを優先してしまう。そんな私たちに、イエス様は「悔い改めて福音を信じなさい。まず神の国と神の義を求めなさい。」私があなたの王だ。私があなたの支配者だ。それを認めて神様を、イエス様を、まずあなたの心の王座にお迎えしなさい。そう求めているのではないでしょうか。
神の国はあなた方のただ中に。それはイエス様に出会い。イエス様によって新しくされ救われた私たちの周りの中に、つまり教会の中に神の国が実現していくと言うことです。イエス様のみことばです。
ヨハネの福音書 13章 34, 35節
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」
私たちが互いに愛し合う。その中に神の国が見えてくるのです。私たちの中にイエス様の愛がある時に、神の国が実現していくのです。教会が互いに祈り合い、互いに支え合い、ともに生きていく。そこに神様の聖さ、正しさ。愛に満ちた支配が実現していくのです。
世の中を見れば、いろいろな集団があります。良いものもあれば悪いものもある。そんな世の中で、そこにいる人々の心の中には、偽りやねたみ、人を自分よりも低く見て、自分を高くあげようとする。そんな人が集まる世の中の集団は、そこにいるだけで辛くなってしまうことがあります。
教会はそうであってはいけません。真実な愛を求めて。イエス様によって赦されている者同士の真実な交わりを求めて。そこに神様の素晴らしさを私たちは見て行きたいのです。教会の中に、兄弟姉妹の交わりの中にイエス様は、もうすでに神の国をもたらしてくださっていて。約2000年前、クリスマスの日に来てくださった時以来、神の国は実現し、拡大しています。このすでにもたらされている神の国は、やがてもたらされる神の国の完成形の前触れです。地上の教会で、私たちはやがてもたらされる完成された神の国:天国・新しい天と新しい地の前味を今、味わっています。
今日の聖書交読の箇所は、新約聖書最後の箇所、ヨハネの黙示録21章を読みました。新しい天と新しい地:天国を期待しながら。イエス様が再び来られる日、再臨の日を期待しながら。主よ来てください。早く来てくださいと、祈り続けます。やがて。イエス様とともにもたらされる完成された神の国で復活し、目覚めたい。そう願い求めながら、いつイエス様が再び来てくださってもよい信仰の備え、心の備えをしていきましょう。
まず、私の心を造り変えてください。私の心の内側に神様が起こしてくださる変化を期待しながら。私の教会の中にイエス様がもたらしてくださる愛の変革を期待しながら、私の中に、この地域に、イエス様が起こしてくださる変化を喜び、期待しながら。この国に、そして世界に神様が起こそうとされている変化を期待しながら。御国が来ますようにと祈り続けていきましょう。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
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