「向こう岸へ渡ろう」

福井中央キリスト教会 礼拝説教 2022年3月20日(主日) 

 ※ 聖歌472「人生の海のあらしに」や、聖歌597「沖へいでよ」をもって、主を賛美しましょう。 


 聖書:ルカの福音書8章22-26節 『聖書 新改訳2017』 

 22. ある日のことであった。イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。 

23. 舟で渡っている間に、イエスは眠り始められた。ところが突風(とっぷう)が湖に吹きおろして来たので、彼らは水をかぶって危険になった。 

24. そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」と言った。イエスは起き上がり、風と荒波(あらなみ)を叱(しか)りつけられた。すると静まり、凪(なぎ)になった。 

25. イエスは彼らに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」 

26. こうして彼らは、舟で、ガリラヤの反対側にあるゲラサ人の地に着いた。 


 説教「向こう岸へ渡ろう」 


 今日与えられたみことばの中で、主イエス様は、「湖の向こう岸へ渡ろう」(ルカ8:22)と、私たちに新たな信仰のチャレンジ(挑戦)を与えてくださっています。主が示してくださる「向こう岸」を目指して、新たな一歩を踏み出してまいりましょう。 まだ見たことも経験したこともない「向こう岸」。そこへ踏み出そうとする時、私たちの心には、「自分にできるのかな・・・? 本当に大丈夫かな…?」という不安や恐れが生じます。向こう岸は、ときに別世界です。

  ― 長野に遣わされる以前、私は、神奈川県の横須賀の教会で仕えていました。横須賀は東京湾にも面していまして、海の向こう側には千葉県のコンビナートを間近に見ることが出来ます。そして港からは、千葉県に渡るフェリーが出ています。今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、源頼朝たちが敵の手を逃れ、伊豆から現在の千葉県へと危険な船旅をする場面が出てきましたが、横須賀からのフェリーも頼朝たちが上陸した場所に近い千葉県富津市(房総半島の南)の港に到着します。片道40分かけて、東京湾11.5キロを横断します。こちら側の横須賀は米軍基地もあり、騒がしくて、ごちゃごちゃした町なのですが、船で向こう岸に渡ると、そこは別世界でした。自然豊かで昔ながらののどかな漁村が広がっていました。そして向こう岸、千葉県に住んでいる人たちは、当然、私の知らない人たちでした。 ― 

  私たち家族もこの春、長野から福井へと新しい向こう岸に渡ってまいります。福井中央キリスト教会の皆さんも、特殊な家庭の事情を抱えた私のような者を、牧師として迎え入れてくださるという信仰のチャレンジをしてくださいます。心から感謝しています。 また日常生活においても、3月から4月の年度替わりの時期は、進学、就職、転勤など、人生の転機を迎える方もおられるかもしれません。学校が変わる、クラスが変わる、家族の構成が変わる、職場の環境が変わるなど大きな変化です。そこで出会う人たちと上手くやっていけるかどうか、不安や恐れも生じます。 しかし幸いなことに、「イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り」(ルカ8:22)とありますように、私たちの信仰のチャレンジに、私たちの日々の歩みに、主イエス様がいつも一緒にいてくださるのです!

 それは、私たちにとって何よりも心強いことです。弟子たちは、イエス様にうながされて、ガリラヤ湖へと「舟を出し」ます(ルカ8:22)。私たちも、共にいてくださる主イエス様の助けと守りを信じて、新しい一歩へと踏み出してまいりましょう! 


 「ところが突風(とっぷう)が湖に吹きおろして来たので、彼らは水をかぶって危険になった」(ルカ8:23)のです。イエス様が、ともに舟に乗り込んでくださったにも関わらず、思いがけない災い、試練、苦しみが待っていたのです。主イエス様と共にこの世界を生きるということは、危険が全く無いということではありません。いつも平穏無事で、順風満帆で、いつも穏やかな歩みというわけではないのです。イエス様が、舟に同乗してくださったのに、舟は突風に見舞われ、ガリラヤ湖の水が次々に舟内に入り込み、舟は沈みそうになったのです。弟子たちは、命の危険にさらされたのです。  私たちの歩みにおいても、思いがけない災いや試練が襲いかかって来る時がありますません。ずっと祈り求めていることが、かなえられない。抱えている問題が解決するどころか、かえって深刻になっているように感じられる日もあります。それでも、私たちの人生・また私たちの日常という航海は、孤独な歩みではなく、主イエス様がともにいてくださる航海であることを堅く信じ、覚え続けていきましょう。 

 イエス様の弟子たちの中には、ガリラヤ湖で漁をしていた者たちもいました。船出にあたっては、「大丈夫、慣れたものだよ」という油断が、弟子たちの心にあったかもしれません。けれども、荒波にのまれ、大量の水が舟に入り込んでくると、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」(ルカ8:24)と弟子たちは、右往左往してしまいます。お疲れもあったのでしょうが、全き平安のうちに舟上で眠っておられたイエス様とは正反対でした。

  そして、眠りから起こされたイエス様は、「黙れ、静まれ」(同じ出来事が記されてあるマルコ4:39)の一声で、大風と荒波を静めてくださいます。おだやかになった湖面を舟は、再び確実に進み始め、舟は目指す場所、向こう岸に着岸したのです。全能なる主が、弟子たちを、そして私たちを助け、守り、導いてくださるのです。

  暴風を静められたイエス様は、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」(ルカ8:25)と弟子たちを叱ってくださいます。私たちも、自らの罪と不信仰をイエス様に叱っていただき、歩みを正されて ー そうしていただけることを感謝し、喜びながら ー 向こう岸を目指して進んで行きたいと思います。

 主イエス様の大いなる御業を体験した弟子たちは、「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか」と驚き恐れて、互いに語り合いました(8:25)。私たちもこの世の現実(目に映る出来事)を見て、それだけを恐れるのではなく、それら全てを支配しておられるお方を恐れ、信頼してまいりましょう。御心のままに、私たちのために最善をなしてくださる主の御業に感動し、主をほめたたえる新たな歩みとさせていただきたいと願います。 


  最後に、到着された向こう岸で、イエス様がどのような御業をなさったのかに目を留めます。ルカ8章26節以降です。湖の向こう岸は、ゲラサ人の地。ユダヤ人ではない異邦人が住んでいました(8:26)。見ず知らずの場所です。そして、そこで待っていたのは、悪霊にとりつかれ、激しく暴れまわっていた一人の男でした(8:27)。 「俺の名前はレギオンだ」と男は答えています(8:30)。「レギオン」とは、ローマ帝国軍の六千人部隊です。大軍団のように大量の恐ろしい悪霊に、彼は支配されていました。本当にひどい有様でした。彼は内側に住み着いた悪霊のせいで、人間らしい生き方が全くできなくなっていました。家族や周囲の人たちから恐れられ、迷惑がられ、危険人物だと見なされていました。何とかして、こいつを押さえつけておこうと、鎖と足かせでつながれ、監視されていました(8:29)…本当に哀れな男でした。 そして、どんなに強い腕力で目に見える鎖を断ち切れても、目に見えない鎖=悪霊の支配、悪の支配、罪の支配からは、解放されませんでした。

 イエス様は、苦しみもだえているこの男を救い出すために、湖の向こう岸に渡って来てくださったのです。彼を人として生かすために、神の子どもとして新しい人生を与えるために、こちらに渡って来てくださったのです。

  この男に取り付いていた悪霊は、いと高き神の子=イエス様を見ておびえ、逃げ出そうとします。悪霊は、その地にいた豚の群れに入り込むことを許され、豚の中に入って行きます。豚たちは興奮し、おかしくなり、いっせいに崖から湖に飛び込んで、おぼれ死んでしまったのです(8:31―33)…。 すさまじい光景だったでしょうね。大損害をこうむった豚飼いたちは、ことの次第を知って、恐ろしくなり、この出来事を町や里で言いふらします。そしてその地の人々は、「イエス様、早くこの地域から出て行ってください」と、イエス様と弟子たちを追い出してしまいうのです(8:37)。 


  私たちはみことばから「向こう岸へ渡ろう」と信仰のチャレンジを与えられました。2,000年前、弟子たちはイエス様のことばに従って、ガリラヤ湖に舟を進め、向こう岸を目指しました。けれども、船出して良いことは一つも無かったように感じてしまいます。 ガリラヤ湖では暴風に飲み込まれ、大波が舟に押し寄せ、命からがら助けられます。そして、イエス様からは「あなたがたの信仰は、いったいどこにあるのですか」と厳しくお灸をすえられます。向こう岸に着いてみたら、待っていたのは、とんでもない男でした。そして豚の大群が湖になだれ落ちる壮絶な光景も見させられ、せっかく向こう岸に着いたのに、すぐに「お前たちは、ここから出て行ってくれ」と追い返されてしまう。踏んだり蹴ったりの船旅、歩みであったように思えてきます。 

  けれども、イエス様は、たった一人を見つけるために、たった一人を救い出し、生かし、彼に新しい人生、新しい使命を与えるために、向こう岸に渡ってくださったのです。あなたのためにも、イエス様は向こう岸に渡って来てくださり、あなたを見つけ出してくださるのです。 救われたこの男は、イエス様のお供をしたいとしきりに願います(8:38)が、イエス様からあなたの使命は、「まず家族に福音を伝えることだ。家族に証しをしなさい。」と遣われます。これまでずっと、一番迷惑をかけてきた家族に伝道をしなさい。証しをしなさいと遣わされていくのです。家族だけに留まらず、彼は町中にイエス様のことを言い広めた、(8:39)と聖書は記しています。 

  イエス様は、レギオンたった一人を救い出すために ただそのためだけに、向こう岸に渡って来てくださいました。私たちにも、それぞれの向こう岸があります。向こう岸で待っている人がいます、イエス様の福音を聞きたいと待っている方のもとに、ここから遣わされて行きましょう。 


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