使徒の働き2章
1. 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2. すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
3. また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
4. すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
5. さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
6. この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
7. 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。
8. それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。
9. 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、
10. フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、
11. ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」
12. 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。
13. だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。
ペンテコステ聖餐礼拝メッセージ
2022年6月5日
使徒の働き2章1-13節
「相手の立場に立って」
おはようございます。車に乗って、福井市近辺を少し走りますと、田んぼと同時に、広い麦畑にも目が奪われます。ちょうど今、黄金色の麦の穂が収穫を待っています。イスラエルでも、この時期に麦が収穫されていたのでしょう。「ペンテコステ(五旬節)」という言葉の本来の意味は「50番目」で、春先の「過越の祭り」から50日後(7週後)に行われた「七週の祭り」を指しています。この祭りは「刈り入れの祭り」とも呼ばれる初夏の収穫祭でした(出エジプト34:22、レビ23:15-16等)。イスラエルの三大祭り(①過越の祭り、②七週の祭り、③仮庵の祭り)の一つで、人々はエルサレム神殿に出向くことを求められていました。
ちょうどその年、過越の祭りの時に主イエス様は十字架にかかり、死んでくださいました。そして墓の中からよみがえられ、40日間、弟子たちと共にいてくださいます。40日目にイエス様は、オリーブ山から天に昇って行かれます。それから10日間、弟子たちは真剣に祈り続けました。「約束の助け主=御霊を与えてください」と。40日プラス10日間、つまり過越の祭りから50日目=ペンテコステの日に聖霊(御霊)が降(くだ)ったのです。
このペンテコステの日、たくさんの不思議なしるしが与えられました。2節では「すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った」 ― まず神様は、耳に訴えかけてくださいます。「ゴーッ」と大きな爆音が響きます。続いて3節には「また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった」 - 神様は、さらに目に見えるしるしを与えてくださいです。 初めて聖霊が与えられ、初めて聖霊を体験する日です。使徒たちが「ああ、これだ!」、「これこそ、まさしく聖霊だ!」と分かるように、神様は、特別な御業を見せてくださったのでしょう。しかし、このみことばから勘違いしてはいけないことは、「風」や「炎のように分かれた舌」といったものを、聖霊そのものと理解してはいけないということです。どちらも「聖霊がやって来た」ことを表すしるしなのです。
皆さんは「聖霊」という言葉を聞かれる時、どのようなことを想像されますか? 「父なる神様は分かる。子なるイエス様についてもよく分かる。でも聖霊というお方はよく分からない」。そんな方が、実は多いのではないでしょうか? 私たちが信じている神様、聖書に啓示されている神様は、三位(さんみ)一体(いったい)なるお方です。唯一の神様です。そして、父なる神、子なるキリスト、聖霊と三つのご人(神)格を持っておられます。三つにして一つなる神、1+1+1が3になるのではなく、1+1+1が1となるお方です。私たち人間では、理解が及ばないお方、私たち人間には、理解し尽くせないお方です。
三位一体の神は、それぞれのお働きがあり、同時に三つにして一つなる愛の交わりの中におられます。三位一体の神が共に一つとなって、私たち人間に関わってくださり、私たちの救いのために最善をなしてくださっています。
聖霊は目には見えないお方ですが、ご人格をもっておられます。聖霊は私たちに臨み、私たちのうちに住んでくださいます。イエス様を信じる者のうちに宿ってくださいます。聖霊は、信仰者の歩みを強め、守り、励まし、導いてくださいます。 けれども私たちは、このお方=聖霊について、あまりにも無知・無関心なのではないでしょうか。私自身もそうです。私たちのうちに住んでくださるお方なのに、このお方をあまり意識していない。このお方の働きに無頓着でいるのではないでしょうか。
ペンテコステの日に与えられた聖霊は、その後のクリスチャンを突き動かし、私たちをも、この教会をも導いておられるお方です。聖書には、聖霊がどのようなお方なのか、どのような働きをしてくださるのかが数多く語られています。これから使徒の働きをひも解いていく中で、また多くの御言葉を通して、聖霊なる神様をもっと知っていきたい、このお方をもっと体験していきたいと思います。
ペンテコステの日、神様は驚くべき御業を見せてくださいました。使徒の働き2章には、目撃した人たちが「大変、驚いた!」という記述が繰り返されています。6節の終わりには、「呆気(あっけ)にとられてしまった(以前の翻訳:驚きあきれてしまった)」、また7節には「彼らは驚き、不思議に思って」とあり、12節にも「人々はみな驚き当惑して」と出てきます。わずか数節の中に、「驚く」という単語が繰り返されています。どれほど、びっくりさせられたのか、腰を抜かしそうになったのか、何が起こったのか理解できず、途方に暮れてしまったのか、そんな反応が記されています。
聖霊のお働きは、多様でダイナミックです。この時には、使徒たちは数多くの外国語を自由自在に操(あやつ)り、福音を語り始めたのですが、聖書の他の箇所を見てみますと、聖霊は、私たちに罪を指し示してくださいます(ヨハネの福音書16:8)。そして私たちに、イエス・キリストを知らせ、信仰の決断へと導くお方でもあります(Ⅰコリント12:3)。さらに聖霊は、言葉にできない私たちのうめきをとりなしていてくださいます(ローマ8:26)。聖霊は、祈る私たちを励ましていてくださるのです。聖霊なる神のお働きは多様です。そして私たちに、大きな喜びと驚きをもたらしてくださるのです。
皆さんは「神様ってすごいなあ!」と感動していますか? 日常生活の中に働いてくださる神様の御業に驚かされていますか? 霊的な目、神様の御業を発見する目を開いていただき、主の御業、聖霊の御業に、もっと敏感になっていきたいと思います。
また聖書は、このペンテコステの出来事を、反対に非常に冷めた目で、批判的に見ていた人たちのことも記しています。2章13節です。だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲(あざけ)る者たちもいた。 私たちは、神様の御業に対して、どのような反応を示しているでしょうか? 聖霊が私たち一人一人に与えてくださる信仰また信仰の体験は、各人様々です。その人・その人の状況に合わせて、神様は、それぞれ聖霊体験、聖霊の導きを与えくださっていると信じます。
私たちは、一人に一人に与えられている聖霊の賜物、御霊の賜物を大事にしていきたい。それを尊重していきたいと思います。 冷めた目で兄弟姉妹の信仰を見たり、冷めた目で主の働きを見たりすることがないようにしていきましょう。「新しいぶどう酒に酔っているんだよ…」といったこの世の常識、人間的な知恵によって、主の驚くべき御業を評価し、批評してしまう、そのようなことがないようにと思います。もっと素直に主の御業に驚き、もっと純粋に主の御業に感動していく、そんな信仰を与えられたいと願います。
今朝はペンテコステの出来事から、もう一点だけ、それぞれの国の言葉で福音が語られたという出来事に注目します。4節です。「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」 五旬節の祭りに合わせて、たくさんの人たちがエルサレムに来ていました。世界各地に離散して住んでいたユダヤ人たちも戻って来ていました。さらにユダヤ教に改宗していた外国人の姿もありました。9節以降に挙(あ)げられている地域の名前、国の名前を見ていきますと、実に幅広い地域から、アジア・アフリカ・ヨーロッパ各地から、多種多様な人たちが集められていることに気付かされます。
ペンテコステの日、聖霊に満たされた使徒たちは、御霊が語らせるままに多くの言語で、イエス・キリストの福音を語り始めたのです。外国語が自然に口から出てきた。本当にうらやましい話ですが、この現象は、ペンテコステの日だけに特別に、神様が見せてくださった御業だろうと思います。 それ以降は、使徒たちは自分たちの言葉、ガリラヤなまりの母国語で生活していたでしょう。ペテロが宣教に出て行くとき、マルコの福音書を書いたマルコが通訳として同行したと言われています。外国語がすらすらと口から出てきたのは、このペンテコステの日だけ、特別に与えられた賜物だったのでしょう。
そうではあっても、この時、それぞれの国の言葉で福音が語られたことは、これから始まる世界宣教の拡大を、前もって予告しています。 ― 当時、商業の言葉として「アラム語」という言葉が広く用いられていました。さらに「ギリシャ語」は、ローマ帝国全体で公用語として用いられていました。 - けれども、それぞれ地域の人にとって、一番なじみがあるのは、お父さんお母さんに教えてもらい、家族の中で話されていた地域ごとの言語(母国語)であったはずです。一番理解できるのは、一番しっくり来るのは現地の言葉だったでしょう。 その言葉で福音が語られたのです。現在も、世界各地に宣教師が遣わされています。宣教師は、その地域の言葉を習得し、その地域の言葉で、福音を宣べ伝えています。そして、それぞれの地域の言葉に聖書が翻訳され続けています。その先駆けが、すでにペンテコステの日に示されていたのです。
神学校2年生の時、夏休み中の4週間をどこかの教会に泊り込みで奉仕させていただき、牧師の働きをしっかりと見て学ぶインターンという課題がありました。私は、ふるさと福岡の教会を二つ選び、そこに2週間ずつお世話になりました。一つの教会の牧師は説教中、熱が入ってくると次第に博多弁で語り出す先生でした。その説教を聴きながら、本当に感動しました。まるで、イエス様が福岡県人になって、博多の男になって、目の前で語っておられるような思いになったのです。
ペンテコステの際、それぞれの言語で福音が語られた。このことから私たちは。神様のどのような思いを汲み取るべきでしょうか? それぞれの言語で福音が語られたという事実から、私たちの伝道の姿勢、私たちクリスチャンとしてのあり方を問われているのではないかと思います。
私たちが伝道をする時、私たちが福音を伝えようとする時、私たちは往々にして、自分たちの言語、キリスト教会の中でしか通用しないような言葉で、相手に話しかけてはいないでしょうか。今日の「ペンテコステ」とう言葉もそうでしょう。クリスチャンではない方には、ちんぷんかんぷん、意味の分からない言葉でしょう。「贖(あがな)い」とか「交わり」といった言葉もキリスト教用語、教会用語なのかもしれません。
私たちは、もっと現代の日本に生きている人たちの心に届く言葉で、地域の人たちに心に響く言葉で、福音を語っていかなければならないのだと思います。このことは、ここで御言葉を語っている私自身に対する戒めです。 相手の立場に立って、相手の理解できる言葉で神様のことを伝えていく。そのような努力を私たちは怠ってきたのではないでしょうか?
神様が私たち人間を救うために、私たちに関わってくださる。それは、まさに相手の立場に立って、相手の言葉で語ってくださる出来事なのではないでしょうか。聖書が語る神様は、天の高い所で腕組みしながら、私たち人間が神の基準に達するのを、待っているようなお方ではありません。 まったく正反対です。ヨハネの福音書1章14節には、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」。ピリピ人への手紙2章6,7節では、「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。」
神様は、私たち人間を救うために、天を出て、地上に降って来てくださったのです。神のひとり子=イエス様は、この地上に一人の人間として生まれて来てくださり、人と共に歩んでくださいました。イエス様は命がけで、いや命を捨てるまでして、私たちの立場に立つことに徹してくださいました。
私たちが救われるために、難しい天国の言葉、意味の分からないキリスト教専門用語をマスターする必要はありません。私たちと同じように人間になってくださり、私たちと同じ言葉で話しかけてくださるイエス様とお会いし、このお方を信じるだけでよいのです。 イエス様は、ここまで降って来てくださり、私たちに救いをもたらしてくださいました。では私たちは、イエス様のこの思いにどのように応えていけば良いのでしょうか? ペンテコステの日に、それぞれの地域の言葉で福音が語られました。私たちも御霊に導かれながら、相手の言葉で、相手の立場に立って福音を証ししていく。そのことにもっと思いを寄せていきたいと思います。
お祈りします。
みことばへの応答
Q. 考えてみましょう。以下、自由にご記入ください。
1. あなたのうちに住んでくださっている聖霊に守られ、導かれた経験があるでしょうか? 思い出し、書き留めてみましょう。
2. 相手の立場に立って、相手の理解できる言葉で福音を伝える。そのために、私たちに必要なことは何でしょうか?
お祈りの課題など
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
キリスト教プロテスタントの教会です。 毎週日曜日の午前10時半から📖「礼拝」を、 毎週水曜日の午前10時半から🙏「聖書の学びとお祈りの会」を行っています。 クリスチャンではない方も、どの国の方でも、 👦 👧 👨 赤ちゃんからお年寄りまで 👩 👪 🙍 「礼拝」や「お祈りの会」にご自由にご参加いただけます。 🏡 家族のようなあたたかな教会 ♰ この町の教会 あなたの教会です。
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