「羊飼いたちの喜び」

ルカの福音書2:8-20
8. さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。9. すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10. 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。11. 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12. あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
13. すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。

14. 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

15. 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」

16. そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。

17. それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。

18. 聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。

19. しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

20. 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

クリスマス礼拝

2022年12月25日

ルカの福音書2:8-20 

「羊飼いたちの喜び」

 2022年のクリスマス、おめでとうございます!

 同じ出来事を前にしても、それをどうとらえるか、人によって大きく違うなあと感じます。先週、天気予報が「今晩かなり大雪になるでしょう。明日の朝にまで数10センチ、平地でも積もるでしょう」と言っていました。次の日の朝、窓を開けて、あたりを見渡します。「ああ、良かった!思ったほど大雪でなかった」。雪かきが楽に済みそうだと安心し、私はそう声に出します。すると隣にいた息子が悲しそうに言うのです。「お父さん、何で良かったなんて言うの。もっと積もっていてほしかったのに…」。そり遊びができる雪山が作れるほどの積雪を期待した息子は、がっかりしたのです。

 2020数年前、主イエス様がお生まれになった時にも、大喜びした羊飼いや博士たちがいた一方で、「自分の王座を脅かす存在が現れた」と動揺するヘロデ王や、「疑り深い王が、何か恐ろしいことをしでかすのではないか…?」とおびえていたエルサレム市民たちがいました。

 あなたは、主イエス・キリストのご降誕をどのような思いで受けて止めていますか?

 天におられるまことの神様が、どんなものよりも高くにおられる最高のお方が、この地上に降って来られる。もしも神様がそのままのお姿でこの地上に降りて来られたとしたら、その神々(こうごう)しさと輝きと畏れ多さのために、羊飼いでなくても、誰一人として、そのお方に近付くことはできなかったでしょう。

 旧約聖書の神様の現われ方はまさにそうでしたよね。大きな炎(出エジプト記3:2―6)、燃え盛る山(出エジプト記19:18)、まぶし過ぎる輝き(エゼキエル書10:1-4)、この地球を踏み台とされるような巨大な御足(イザヤ66:1)、そんな神様の偉大さと高さを前に、人は恐ろしさを感じることしかできませんでした。

 また神の御子イエス様がこの地上に来られる際、赤ちゃんとしてお生まれになったという事実は変わらなくても、もしも都エルサレムのヘロデ大王の息子として生まれて来たとしたら、どうなったでしょうか?

 羊飼いは、お告げ・招待状をもらっても、「俺たちゃ、王宮に上がれるような身分じゃございません。着ていく服もございません。羊や家畜の匂いもいっぱいしみ込んでいますから、せっかくのありがたいお申し出ですが、遠慮させて頂きます」と、救い主イエス様のもとに行くことはできなかったでしょう。

 2020数年前のユダヤの世界、羊は大切で身近な家畜でした。その毛も肉も生活に欠くことができないものでしたし、何よりも神様にいけにえとしてささげられる羊たちです。けれども、そんな大切な羊のお世話をしていた羊飼いを、他の人たちは見下し、さげすんでいたのです。それは、彼らが安息日(土曜日)を守れなかったからです。礼拝の日としていっさいの労働が禁じられていた安息日。しかし、家畜の面倒を見る彼らに休める日はありません。安息日にも干し草をやり、水を飲ませ、夕方になれば羊たちを囲いの中に連れて行く。安息日にも仕事をしなくてはいけない羊飼い。そのために周りの人たちから、「あいつらは信仰心もない、本当にどうしようもない奴らだ」と、軽蔑されていました。

 神様から一番遠い所にいると見下されていた羊飼いたち。だからこそ、誰よりも神様の愛、神様の救いを必要としていた羊飼いに、救い主誕生の第一報が天から届きました。

 救い主が!ユダヤ人がずっと待ち焦がれていたお方が、まさに今日この日に。しかも自分たちがいる所から、ほんのすぐそばのベツレヘムの町でお生まれになったというのです! 御使いは、救い主は「飼い葉おけ」に寝かされている赤ちゃんだ!と言います。羊飼いにとっては、いつもの場所。家畜小屋の飼い葉おけにその尊いお方が寝かされているのです!羊飼いたちがそのままの格好で、安心して近付ける場所に、しかも赤ちゃんという安心して近付けるお姿で、見るだけでこちらも微笑んでしまう、そんなお姿でイエス様は来てくださったのです。

 そして御使いたちは、「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。」(12節)と断言します。「見つけます」と言い切っています。絶対に会えるから。絶対に見つかるからね、と約束するのです。「さあ、見つかるかな?」、「見つけられたらラッキーだね! さあ、がんばって探してみよう」とは言いません。- 上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれた時、先着何名までしか見ることができませんと言われていました。 - 運よく抽選にあたった数名しか神の子イエス様にお会いできません。御使いは、そうも言いません。まず、あなた達だけにこの知らせを伝えるよ。あなた達は選ばれたのだよ。まず、あなた達に会わせてあげたいんだ。うちの子、うちのイエスのかわいい姿をあなたに見せてあげたいんだ、さあベツレヘムだよ。目印は赤ちゃんが寝ている飼い葉おけだよ。さあさあ急いで!というような天の父なる神様の思いが伝わってこないでしょうか!

 宝物を隠しておいて、それを絶対に見つけ出してほしいと「宝の地図」を渡す。神様のそんな粋な計らいのような気もしてきます。一番小さな人たちのために、神様からほど遠いと見下されていた人たちのために、誰よりも神様の愛、救いを必要としている人のために、救い主誕生の第一報が届いたのです!

 今年のアドベント、ルカの福音書のみことばから「クリスマスの喜びの特徴・喜びの共通点」を探って来ました。それは、「自分の願いがかなった」という喜びではなく、「願ってもいなかったことが起こった」ことによる突然の喜びでした。突然の思いがけない出来事を「神様の大いなるご計画だ」と信じて、受け入れた人たちが味わった特別な喜びでした。

 そして、神様の大きなご計画の中で、こんな自分にも神様は使命を与えてくださっていると信じ、託された使命を誠実に・忠実に、精一杯、果たそうと生きた。その中で聖書の登場人物たちは、大きな喜びを感じたのです。

 羊飼いたちもそうだったのではないでしょうか。まさか今夜、救い主誕生の知らせが、俺たちのような者に届くなんて!しかもそのお方に会いに行って良いなんて! 想像もしていなかった突然届いた招待状でした。その御使いの御告げを、神様からの招待状と信じ、受け取って、彼らはベツレヘムの町に走って行ったのです。一生懸命一軒一軒、家畜小屋を探し、ついにイエス様と対面するのです。

 その感動を、その感激を、その絶大なる喜びを抑えることが出来ず、夜遅かったにも関わらず、「それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた」(17節)のです。普段、自分たちを見下しているあの人もこの人にも、嫌なことを言うあの人にもこの人も、あまりのうれしさで「救い主があそこにいるよ!あの飼い葉おけの中に寝ているよ!突然、天使が現われてね。教えてくれたんだ!さあ行って見てごらんよ」興奮しながら、触れ回ったのです。

 天使から「証しをしなさい」と言われて、やった伝道ではありません。神様から「宣べ伝えなさい、トラクトを配りなさい」と言われて、やらされた働きではありません。羊飼いたちは、あまりにうれしくて、うれしてしょうがなくて、感激で感激で、黙っていられなくて。彼らは救い主誕生を伝えたのです。

 今年のクリスマス、羊飼いたちの体験した喜びや感動を私たちも与えられていきたいと思います。「天の父なる神様、御子イエス様ご降誕の喜び・感動で私の心を満たしてください」そう祈り求めていきましょう!

 感動や感謝、感激、喜びが与えられたならば、そのこと誰かに分かち合っていきたいと思います。

 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(20節)

 羊飼いは、み使いの話を神様の約束と信じ、ベツレヘムへ飛び出して行きます。そして、本当にその通りだった、神様がおっしゃられた通りだったと、感動し、喜んだのです。神様は俺たちを見捨てていなかった。救い主を送るという約束は本当だったんだ。その救い主は俺たちの救い主なんだと分かったのです。

 私たちも神様の約束が必ず実現すること。神様のみことばは必ず成ることを信じ、待ち望みましょう。

 クリスマス、それは神様がこの地上にもたらした大逆転劇でした。最高の御座に着いておられたお方が、一番低き所に、一番小さき者の姿で生まれて来てくださいました。おびただしい数の天の御使いたちが大合唱で声をそろえて歌いました。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」(14節)

 「いと高き所で栄光が」のラテン語訳から「グロリヤ・イン・エクセルシス」と呼ばれている賛美です。いと低き姿となってお生まれになった救い主の誕生によって、いと高き神の栄光が現されるという逆転が起こりました。天の大軍勢が平和を告知するという逆転も歌われています。

交読した詩篇113篇7,8節に、

主は弱い者をちりから起こし 貧しい人をあくたから引き上げ彼らを 高貴な人々とともに 御民の高貴な人々とともに 座に着かせられる。

とあるように、自分こそ神に近いと思い上がっている人にではなく、自分なんて神様からほど遠い…と感じていた羊飼いたちに平和が、神さまとの和解がもたらされるのです。神様の愛、恵みゆえに羊飼いたちは、「みこころにかなう人」として選ばれたのです。」

 救い主誕生の知らせ。それは、この民全体のためのすばらしい喜びの知らせです。

 私のための喜びの知らせ、あなたのための喜びの知らせ、あなたの家族のための喜びの知らせ、あなたの友のための喜びの知らせ、あなたのかたわらにいるあの人のための喜びの知らせです。

 喜びと感動をもって、これからも主をほめたたえる毎日を過ごしてまいりましょう。

お祈りします。

みことばへの応答

Q. 考えてみましょう。以下、自由にご記入ください。


① 社会の底辺に置かれていたような羊飼いに、救い主誕生の知らせが最初に届き、羊飼いが一番先に主イエス様を礼拝することが許された。

このことから神様のどのような思いを感じ取れますか?



②  クリスマスの登場人物たちが体験した「突然の喜び」、「思いがけない喜び」、「神様のご計画、その偉大さに触れた喜び」、「神様の大きなご計画の中に私も入れて頂いていることを知った喜び」。

そのような喜びを体験したことがありますか?



お祈りの課題など



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福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】

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