使徒の働き 11章19―30節
19. さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。20. ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。21. そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。22. この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。23. バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。24. 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。25. それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、26. 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。27. そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。28. その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。29. 弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。30. 彼らはそれを実行し、バルナバとサウロの手に託して長老たちに送った。
礼拝メッセージ(教会総会の日に)
2023年2月26日
使徒の働き 11章19―30節
「クリスチャンという呼び名」
「クリスチャンとは何者なのでしょうか?」 ― 人生のある時に、神様の不思議な導きによって教会に通うようになり、聖書を読むようになり、イエス・キリストを信じ、洗礼を授けられた人は誰でも「クリスチャン」と呼ばれるようになります。- では歴史上初めて「クリスチャン」と呼ばれた人は、誰だったのでしょうか? また「クリスチャン」という呼び名には、どのような意味があるのでしょうか?
この朝、与えられみことばにその答えが記されています。使徒の働き11章26節の後半部分です。「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」 「キリスト者」という呼び名、英語の聖書では「Christians:クリスチャン」という単語が使われています。「キリスト(Christ)に属する者、キリストにつく者、キリストに従う者」といった意味です。
これまで最初の教会の信徒たちは、お互いを「兄弟」とか「弟子たち」と呼んでいました。そして外部の人たちは教会員のことを「この道の者」(使徒 9:2)等と呼んでいました。
彼らが「キリスト者・クリスチャン」と呼ばれるようになったのは、アンティオキア教会が初めてでした。アンティオキアという町、今の日本では「アンタキヤ」と呼ばれ、トルコ南東にある目立たない町ですが、聖書の時代にはローマ帝国シリヤ州の都でした。イタリアのローマ、エジプトのアレキサンドリヤに次ぐローマ帝国第三の都市アンティオキアでした。当時の人口は約50万人。現代のように電気・ガス・上下水道などが整備されていないその時代において、50万都市というのは考えられない大都市でした。ここはローマ帝国一体から、多種多様な人たちが移り住んでいる国際都市でした。経済的豊かさを誇っていた半面、道徳や倫理は混乱していたと言われています。
そんなアンティオキアの町に、キリストを信じる者たちが移り住んで来ます。原因は、エルサレムでキリスト教に対する厳しい迫害が起きたからです。11章19節、「さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行った」 - フェニキアはイスラエル北部の港町。キプロスは地中海に浮かぶ大きな島。アンティオキアは、エルサレムから650㎞ほど北に行った町です。福井市から日本海沿いを歩いて北上し、東北の秋田市を超すほどの距離です。そんな遠くまでエルサレム教会の信徒たちは逃げていったのです。
逃げていった先々で最初のクリスチャンたちは、こっそりと身を隠そうとはしませんでした。黙っていませんでした。町々でイエス・キリストを証ししたのです。19、20節を見ますと、最初ユダヤ人クリスチャンたちは、ユダヤ人にしかみことばを語れなかったようです。異邦人(外国人)に対しては、まだ近付きがたい思いがあったのでしょう。けれどもアンティオキアにやって来た外国人クリスチャンたちは、大胆にギリシア人たちに福音を宣べ伝えて行きました。
その結果、21節「そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った」のです。神様の守りの御手がアンティオキアの信徒たちを包んでいました。多くのキリストを信じる者たちが起こされ、アンティオキア教会が誕生していきます。アンティオキア教会 = ここは、やがてパウロやバルナバを宣教師として任命し、世界宣教へと送り出していく教会です(使徒13章~)。ユダヤ人だけでなく、外国人も共に集まる国際色豊かな多様性あふれる教会でした。
このアンティオキア教会のうわさが、遠くエルサレムまで伝わります。さっそくエルサレム教会は、バルナバをアンティオキアに派遣します。バルナバ、彼が聖書に最初に登場するのは、使徒の働き4章の終わりです。
4章 36、37節に、「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」。
バルナバは、喜んで主のためにささげる信仰者でした。またバルナバは愛の人、包容力のある信仰者でした。あのサウロ(後のパウロ)が、ダマスコ途上でイエス様と出会い、救われた時のことです。キリスト教迫害の急先鋒にいたサウロを警戒し、受け容れようとしないエルサレム教会にバルナバは働きかけ、サウロを教会の仲間として迎え入れていました。
「慰めの子」とあだ名を付けられるほど、バルナバは一緒にいるだけで励まされる人だったのだと思います。「エルサレム教会から、あのバルナバが遣わされて来た」 このことは、アンティオキアの信徒たちにどれほど大きな力を与えたことでしょう! 迫害を避けて逃げて来た信徒たち。今いる場所は大都市アンティオキア。周りには偶像ばかり、道徳的に乱れた人たちも大勢いる。そんな中に置かれている教会に尊敬すべき信仰者=バルナバが来てくれた!アンティオキア教会は大きな励ましを受けたはずです。
11章24節を見ますと、バルナバを通してさらにアンティオキアの町の宣教が前進して行きます。さらに25節で、バルナバはタルソにおもむき、ふるさとに帰っていたサウロを捜し出し、呼び寄せ、一年間ともにアンティオキア教会で人々に神様の愛、キリストの救いを教えたのです。
そんなアンティオキア教会の信徒たちの姿を見て、教会の中にいた人たちではなく、外にいた人たちが「あの人たちはキリスト者だ!」、「あの人たちはクリスチャンだ」と呼ぶようになったのです。
アンティオキア教会の信徒たちが、いつも「キリスト」、「キリスト」と声を上げていたからでしょう。祈りや賛美の中でいつも、「イエス様・救い主・キリスト」と声を上げていたからでしょう。そしてバルナバやサウロに励まされ、聖霊なる神様に押し出されて、教会の信徒たちは外に出て行って、イエス・キリストを宣べ伝えていたからではないでしょうか。
「キリスト者」という呼び名は最初、町の人たちが教会の信徒たちを見て、からかって付けたあだ名でした。あの人たちは、いつも「キリストを信じましょう」とか、「キリストだけが救い主です」と宣言している。あいつらは、「キリスト・オタクだ」、「キリスト一派だ」と。「キリスト者」という呼び名は、最初、教会員を馬鹿にして付けられたあだ名だったのです。
けれども教会は、このあだ名を自らの立場を証しする呼び名として用いていきます。誇りをもって自らのことを「キリスト者」、「クリスチャン」と呼ぶようになり、2,000年経った今に至っています。
「キリスト者」それは「キリストに属する者、キリストにつく者、キリストに従う者」という意味です。クリスチャンは、キリストの十字架の身代わりの死によって、救われた者たちです。キリストを信じることによって、犯してきたすべての罪を赦された者たちです。そしてキリストのいのち=永遠のいのちにあずかっています。
ご自身の命を犠牲にしてまで、この私を救い出してくださった主イエス・キリストを愛し、キリストに従いたいと願い続けているのが、キリスト者です。
今日ここにいらっしゃるまだ洗礼を受けておられない方も、必ずいつの日かキリストを知り、キリストの赦し、救いを体験し、信じることができる。「キリスト者」、「クリスチャン」になる日がいつか来る。その日を待ち望みながら、神様の導きを祈り求めながら、歩んで頂ければと願っています。
「キリスト者」と呼ばれたアンティオキア教会は、どのよう歩みをしていたでしょうか? 20節の終わりでは、「主イエスの福音を宣べ伝えた」とあります。まことの救い主=キリストを高く掲げ、キリストを宣べ伝えました。23節では、バルナバがアンティオキア教会に到着した時、そこで見たものは「神の恵み」でした。キリストの愛、キリストの赦し、キリストの恵み、キリストの平和が満ちている教会でした。
さらに27節以降では、エルサレムで大飢饉が起こったとき、アンティオキア教会は、何とかしてユダヤやエルサレム教会の仲間たちを助けたいと、救援物資を集め、それをエルサレムにまで送り届けたのです。キリストのように真心から人を愛したいと願うアンティオキアのクリスチャンたちは、犠牲を惜しまずささげる教会でした。
今、私たちにも同じ愛、同じ思い、同じ祈り心、同じ情熱が求められています。初めて「キリスト者」という呼び名が使われたアンティオキア(アンタキヤ)の町は、今月6日に発生したトルコ・シリア大地震の震源地から遠くありません。今回の大地震、崩壊した建物の下敷きになるなどして亡くなった方々が5万人もいる、避難所生活をしている方々が100万人以上と報道されています。すさまじい痛み・悲しみ・恐れ・苦しみでしょう…。
現地の悲しみ・痛みを知っていくこと。実際に現地で救援にあたっている方々の情報を入手すること。そしてその働きのために、出来るだけ長期間に渡り、支援を続けていける者となっていきたいと願います。
私たちはたくさんの愛を、たくさんの助けを受けて来ました。キリストの愛を、御救いを頂いています。その愛に応えて行きましょう。
東日本大震災の直後だったと記憶しています。外国人の方で被災地支援に来てくださった方が、私たちにこんなチャレンジを投げかけてくださいました。「募金箱に1,000円を入れた。それで、私はよくやった。被災者に愛を注いだなどと勘違いをしてはいけません。あなた自身に痛みを伴うようなささげものをしてください」と。
迫害から逃れた人たちで構成されていたアンティアキア教会です。ある意味、難民となっていたような人たちでした。自分たちの日々の生活だって決して楽ではなかったはずです。しかし彼らはふるさと=エルサレムの困窮する仲間のために、ささげて行ったのです。「それぞれの力に応じて」とみことばにありますので、クリスチャン各人・各家庭の生活が破綻してしまうような量ではなかったでしょうが、それども、それぞれ神様に示されたところに従い、思いを、祈り心を精一杯の救援物資や義援金として、送ろうと決めていったのだと思います。
弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行し、バルナバとサウロの手に託して長老たちに送った。
祈りましょう。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
キリスト教プロテスタントの教会です。 毎週日曜日の午前10時半から📖「礼拝」を、 毎週水曜日の午前10時半から🙏「聖書の学びとお祈りの会」を行っています。 クリスチャンではない方も、どの国の方でも、 👦 👧 👨 赤ちゃんからお年寄りまで 👩 👪 🙍 「礼拝」や「お祈りの会」にご自由にご参加いただけます。 🏡 家族のようなあたたかな教会 ♰ この町の教会 あなたの教会です。
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