使徒の働き 16章6―15節
6. それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。7. こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。8. それでミシアを通って、トロアスに下った。9. その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。10. パウロがこの幻を見たとき、私たちはただち⁺にマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。11. 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。12. そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。13. そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。14. リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。15. そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。
礼拝メッセージ
2023年6月25日
使徒の働き 16章6―15節
「マケドニア人の叫び」
使徒の働きには、主イエス様がもたらした救いの喜びが、どんどん拡大していく様子が記されています。イスラエルのエルサレムに誕生した最初の教会は、その後、シリヤのアンティオキアへ、そこから地中海に浮かぶキプロス島へ、そして小アジアと呼ばれていた現在のトルコの各都市に広がっていきます。イエス・キリストを信じるクリスチャンたちが各地に起こされ、各地に教会が建てられました。宣教と教会形成の一担い手として選ばれたのがパウロでした。
パウロは、第2回目の伝道旅行の途上にあります。パウロのかたわらには、シラスとテモテという二人の弟子がいました。彼らはデルベやリステラといった町で伝道をしています(16章1節~)。小アジアの中心から南にいったところの町です。小アジアは当時、ローマ帝国の支配下にあり、いくつかの州に分けられていました。ルカオニア州とかガラテヤ州などといった具合です。パウロは、ここからさらに小アジアの各地へ進んで行きたいと考えていました。西へ向かって行き、たくさんの人口を抱えているコロサイやラオデキヤといった町々を訪問したい。そして、最終的にはアジア州で一番大都市であったエペソにまで行きたかったのではないかと思います。
パウロの思い・願いは小アジアでの宣教でした。けれども宣教の主なる神様のご計画は、別のところにありました。16章6節「それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った」と。考えていたコースとは違う道に変更することを強いられたのです。聖霊なる神は宣教の主です。聖霊は私たちを宣教へと突き動かすお方です。そのお方が宣教することを禁じる。みことばを語ることを禁じるとは、どういうことなのでしょうか? そのことについて後で触れたいと思います。
パウロたちは進みたかった方向には進めず、フリュギア・ガラテヤ州の方面へと進路を取ります。さらに続く7節では、「こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった」と。西に進むのがだめなら、今度は北にあるビティニア州へ向かいたいと考えました。まだ小アジアには、福音を伝えられていない町々が残っている。まだ十字架の救いのメッセージを聞いていない人たちが、この小アジアにたくさん残っている。だから「ビティニアへ行こう!」と考えました。
しかしこの願いも、御霊によってストップをかけられてしまいます。西に行こうとしてもダメ、北に行こうとしてもダメ、パウロの思いと計画は、ほとんど神様によって却下されてしまいます。
私たちの人生においても、この時のパウロと同じような経験をさせられることがあるのではないでしょうか? 行く手をはばまれること。「ここに進みたい」と願っていた道が閉ざされてしまう、そんな経験です。一見すると「挫折」と思われるようなことが、人生ではあるのではないでしょうか。
高校受験・大学受験などにおいて、自分が進みたいと願っている一番の志望校には行けないことが分かり、レベルを下げて、合格が見込める学校に進むこともあるでしょう。就職活動でも、数多くの会社の採用試験を受けても、なかなか内定をもらえない厳しい社会です。仕事でも、プライベートでも、思い通りに行くことよりも、そうはいかないことの方が多いのではないでしょうか? 結婚も、子どもが与えられることも、子育てや、家族の介護のことも、また自分自身の健康も、老後のことも、そしてどうのように最期を迎えるかも、自分の思い通りには行きません。
ときに足止めを食らい、回り道をさせられ、思いがけない試練や苦しみが押し寄せて来る。願ってもいないことが起こるのが人生ではないでしょうか。そんな中、私たちはすぐに落ち込んでしまいます。目指していた道が閉ざされた時、本当はそうではないのに、自分の存在すべてが否定されたような気がして、失望落胆してしまいます。自分自身の存在価値を見失ってしまいます。
しかし、神様に愛されている私たち、神様に守られ生かされている私たちは信仰の目をもって、そのような厳しい現実に向き合っていくことができるのです。ローマ人への手紙 8章28節。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
パウロは16章6節で進路変更させられた時、ガラテヤ地方に行きました。後にパウロはガラテヤに住むクリスチャンたちに手紙を書いています。先ほど交読したみことばです。その中でパウロは、自分が初めてガラテヤを訪問したいきさつを語っていました。ガラテヤ人への手紙4章13,14節。「あなたがたが知っているとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり嫌悪したりせず、かえって、私を神の御使いであるかのように、キリスト・イエスであるかのように、受け入れてくれました」
パウロがガラテヤの人たちに福音を伝えるようになったのは、実は、パウロ自身の健康状態が悪かったためでした。(小アジアの風土病であるマラリア熱に感染したのではとも言われています)その病のために、進みたかった道に進めず、ガラテヤへの進路を取らざるを得なかったのです。後にパウロはそのことを振り返って、「ああ、これが聖霊の導きだったのだな。これが神様のご計画だったのだな」と分かったのではないでしょうか? 自分の思いではなく、聖霊に禁じられ、聖霊に導かれて、ここまで来た。これが神様の最善のご計画だった。これこそ主の御心だったと悟ることができたのです。
パウロたちが導かれて来た所は、小アジアの西の端、目の前には海があり、向こうにはヨーロッパの大地が控えているトロアスの港でした。あの「トロイの木馬」で有名なトロイの遺跡から南へ25キロ行ったところにある港町トロアス、パウロはここである幻を見ます。
使徒の働き16章9節 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
パウロが、これまで人間関係を築いて来たのは、主に同じ民族であるユダヤ人でした。その他、異邦人といっても小アジアに住むアジア人が主だったでしょう。けれどもこの時、ギリシャに住むマケドニア人=ヨーロッパの人々も「福音を聞きたい、助けてほしい」と真剣に願っているのです。
本当に頼るべきお方を知らないで生きている人たちがいる。彼らに生けるまことの神を伝えなければならない。イエス様の十字架のみ救いを伝えなければいけない。パウロは、これまでの聖霊の不思議な導きとこの幻を通して、はっきりと神様のご計画を悟りました。16章10節です。「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただち⁺にマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」
神様が今、私たちに期待しておられることは、この小アジアにとどまることではない。海を渡ってマケドニア(ギリシャ北部のローマの属州)に行くことだ。ヨーロッパ世界にもイエス様の福音を拡大していくことが神様の御心だと、パウロたちは確信しました。そして、ただちにトロアスから船出します。
12節から見ますと、パウロたちはピリピというマケドニア第一の都市に入って行きます。元々、ここには金が採れる鉱山があったため、時の権力者は、この町を自分のものにしようとしてきました。アレキサンダー大王の父、フィリッポス2世がこの町を占領したことにちなみ、ピリピと名付けられたそうです。新約聖書の時代、ピリピはローマ帝国軍の植民都市でした。軍隊を引退した元兵士たちが多く住んでいたそうです。軍事的にも通商・貿易の面でも、重要な都市でした。
そんなマケドニアの地ピリピで、パウロたちを待っていたのは、神様を敬い、みことばを聞きたいと待ち望んでいたリディア(ルデヤ)という女性とその家族でした。川岸の祈りの場にやって来る祈りの人・神様を信頼していた人でした。パウロは、そこに集まった婦人たちに福音を語ります。すると聖霊が働かれ、リディアの心が開かれ、信仰へと導かれたのです。リディアだけでなく、家族もともに洗礼(バプテスマ)にあずかりました。現在では、この川はリディア川と名付けられ、記念の洗礼堂が建てられているそうです。
実はリディアは元々、小アジアのティアティラ市という場所の出身でした。紫布という当時、高級品だった生地を商売するためにピリピにやって来ていました。小アジアでの宣教を禁止されて、マケドニアに導かれたパウロでしたが、ピリピの町で、最初に救いに導いたのは、実は出て来た小アジア出身の女性家族でした。神様がなさることの不思議さと素晴らしさを覚えます。
小アジアでは今回、宣教の道を閉ざされました。しかし神様は、このことによって、マケドニア宣教という新しい道を開いてくださったのです。一つの道が閉ざされたことが、別の道が開かれていくための神様の最善のはからいでした。
私たちの目には「挫折」だと思えるようなこと。「失敗」だ「後退」だと思えるようなことも、父なる神の愛の御手の中では最善なのです。
1563年ドイツで作られた、「ハイデルベルク信仰問答」という歴史的な信仰告白の中には、次のような問いと答えが記されています。「ハイデルベルク信仰問答」の問27です。
問い「神の摂理(せつり)について、あなたは何を理解していますか。」
摂理とは、神様の側にあるご計画ですね。この問いに対する答えは、こうです。
答 「全能かつ現実の、神の力です。それによって神は天と地とすべての被造物を、いわばその御手をもって今なお保ちまた支配しておられるので、木の葉も草も、雨もひでりも、豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も、健康も病も、富も貧困も、すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によって、私たちにもたらされるのです。」
私たちの信仰は全知全能なる神様への信仰です。神様が私たちの現実の中に働きかけてくださり、力を注いでくださるのです。神様はすべてを支配しておられ、また私たちと父と子という関係を築いてくださいます。父なる神は愛の神です。豊作も不作も、健康も病も、すべてが偶然に起こるのでなく、父なる神の最善のご計画のうちに私たちにもたらされているのです。
最後に、私たちはこの愛なる神をまだ知らずに歩んでいる方々の叫びに、耳を傾けていきましょう。マケドニア人の叫び声、「私たちの所にも来てほしい。喜びの知らせを届けてほしい。助けてください。心がほっとする福音を聞かせてほしい」。そのように飢え渇いている人々が、私たちのすぐそばにいるのではないでしょうか? そして声にならない叫び声をあげているのではないでしょうか? 私たちはそのようなマケドニアの叫びに気づき、心を傾け、そして福音をたずさえて、その叫びに応えていく歩みをしていきたいと思います。マケドニアの叫びに応えて行く私たち、私たち福井中央キリスト教会とならせていただきましょう!
お祈りします。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
キリスト教プロテスタントの教会です。 毎週日曜日の午前10時半から📖「礼拝」を、 毎週水曜日の午前10時半から🙏「聖書の学びとお祈りの会」を行っています。 クリスチャンではない方も、どの国の方でも、 👦 👧 👨 赤ちゃんからお年寄りまで 👩 👪 🙍 「礼拝」や「お祈りの会」にご自由にご参加いただけます。 🏡 家族のようなあたたかな教会 ♰ この町の教会 あなたの教会です。
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