「テモテの仲間入り」

使徒の働き 16章1節―5節1. それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人であった。2. 彼は、リステラとイコニオンの兄弟たちの間で評判の良い人であった。3. パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。4. 彼らは町々を巡り、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を、守るべきものとして人々に伝えた。5. こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった。

礼拝メッセージ

2023年6月18日

使徒の働き 16章1節―5節

「テモテの仲間入り」

先週梅雨入りし、雨の日もありますが、晴れている日の日中はかなり暑くなりましたね。小学校でも今週からプールの授業が始まります。プールで泳ぐ速さを競い合う水泳は、個人競技のように思っていましたが、最近ではオリンピックや世界大会の映像を見ますとチームスポーツのようですね。日本代表がみんなで鉢巻をしめ、旗を振りながら、仲間の選手の泳ぎを応援しているのです。

教会の伝道も個人プレーではなくて、チームプレーであれたらと思います。すべての主導権は、伝道の主・宣教の主なる神様(聖霊)の内にあります。神様に示されて、神様に押し出されて、あの人に「教会案内」や「伝道文書」を渡す。あの人を教会の礼拝にお誘いする。あの人に聖書のみことばをプレゼントする。それは個人から個人への個人プレーのようでありながら、背後で教会の仲間たちが祈ってくれている。応援してくれている。そんなチームワークがあればと願います。

パウロの宣教もそうでしたね。アンティオキア教会の祈り・派遣・支援がありました。新しく生み出された教会もパウロの宣教のために、ささげものをしてくれるようになっていきます。そして時に危険な旅となってしまうパウロのかたわらは、バルナバやマルコ(第1回伝道旅行)が、シラスやテモテやルカ(第2回目伝道旅行)がお供していたのです。

イエス様が弟子たちを宣教に遣わされる際も「また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。」(マルコ6:7)や、「その後、主は別に七十二人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた。」(ルカ10:1)と、複数名で宣教チームを作られました。

ともに担っていく伝道、ともに担っていく宣教ということを、みことばからまず教えられていきましょう。

第2回目の伝道旅行は、出だしからつまずいてしまいました(使徒15章36-41節)。アンティオキア教会の二人の宣教師、パウロとバルナバの信頼関係が壊れてしまいました。協力し合っていた二人は対立し、仲たがいしてしまいます。しかし、そのようなつまらない人間的いさかいをも用いて、聖霊は宣教の働きを力強く前進させてくださいました。パウロとバルナバは、別々に行動するようになりますが、それぞれが宣教チームを組み、宣教が一方向から二方向へ広がっていきました。

使徒の働きは、この後、パウロの働きに注目していきます。パウロはまずシラスを同労者として迎え入れ、さらに今日の箇所ではテモテを仲間に迎え入れていきます。またこの後、使徒の働きの著者ルカも、宣教旅行に同行して行きます。16章4節では宣教旅行に出かけた人たちのことが、「彼らは」と表現されていますが、10節以降になりますと「私たちは」と変わっています。 ― 「彼ら」から「私たち」へ ―  使徒の働きを書いたルカ自身が、この伝道旅行に加わっていくのです。

先週のメッセージでも触れましたが。日本昔話の桃太郎のようですね。鬼退治に出発した桃太郎に、犬・猿・きじが仲間となりお供をしていくのです。パウロは、バルナバと仲たがいし、孤独を感じたかもしれません。心細さも感じたかもしれません。そんなパウロに、神様はすぐに共に宣教の使命を担ってくれる仲間=シラス、テモテ、ルカを送ってくださったのです。

16章1節に、パウロたちが陸路、デルベやリステラという町を訪問したと書かれてあります。現在のトルコの中心から南に行った所にある町々です。「それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。」とさらっとみことばは語りますが、地理を調べると、ここに行くまでは難所続きの大変な旅でした。標高3,000メートルを超すタウロス山脈を超えて行かなければならなかったのです。車でも峠越えは大変だなあと感じますが、当時は歩いての山登りだったでしょう。パウロたちが歩くより、千年近く前、紀元前1,000年頃、この峠道は開かれたそうですが、ローマ政府が峠に関所(キリキアの狭門)を設け、旅人の往来をチェックしていたそうです。険しい道をパウロたちは歩いて行きました。

デルベやリステラという町は、前回の第1回伝道旅行の際にも訪問していました。再び訪問し、リステラの町でテモテという一人の男性と再会しました。1節でテモテのことを「弟子」と説明していますので、もうすでにテモテはクリスチャンになっていたことが分かります。おそらく第1回伝道旅行の際に、パウロを通して救いに導かれていたのでしょう。パウロは、このテモテを同行者、同労者として連れて行こうと考えました。

その理由は何だったでしょうか? テモテが生まれながらにして国際人だったことも大きな理由ではないでしょうか。お母さんはユダヤ人、お父さんはギリシア人。ユダヤ人の母国語であるヘブル語も、当時の世界共通語であったギリシア語も使いこなせる国際人だったでしょう。これから、世界各地に離散して住んでいるユダヤ人に伝道していきたい、また異邦人にも福音を伝えたいとの志が与えられていたパウロにとって、テモテの存在は大きな助けでした。

何よりもテモテに与えられていた純粋な信仰、イエス様に対する純粋な信仰も、パウロにとって、大きな支えとなると感じたでしょう。16章2節で「彼は、リステラとイコニオンの兄弟たちの間で評判の良い人であった。」と記されています。教会の兄弟姉妹たちから慕われ、尊敬されていたテモテ。彼の信仰について、パウロは後にこう語っています。パウロがテモテに宛てた手紙、第Ⅱテモテ1章5節「私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。」

あなたの純粋な信仰、うそ偽りのない真心からの信仰です。それは3世代に渡って受け継がれて来た信仰でした。テモテのお母さん=ユニケも、おばあちゃん=ロイスも熱心なクリスチャンでした。そしてお母さんたちは、テモテにみことばを教えて来ました。第Ⅱテモテ 3章14,15節には、こうあります。「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです」

テモテのおばあちゃんとお母さんは、家庭礼拝や家庭での信仰教育を大事にしていました。家で聖書を開き、聖書のみことばを読み聞かせ、小さな頃から聖書に親しむようにして来たのでしょう。みことばの豊かさ、みことばの力、みことばの楽しさを教え、体験させて来たのではないでしょうか。そのテモテに純粋な信仰が宿っていました。

国際人であり、純粋な信仰を与えられていたテモテを、パウロは宣教の同労者として一緒に連れて行こうとします。けれども、ここでパウロは、かなりびっくりする行動をとっています。使徒の働き16章3節です。 パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。

つい先日見ました使徒の働き15章のエルサレム会議では、人が罪を赦され、救われるのは、ただイエス様の十字架の贖いによってのみなのだ。人間が強い意志を持つとか、何かを堅く決意するとか、善い行い、立派な行いをするとかが、救いの条件ではない。ただ神様の恵みによってのみ、私たち人間は救われる。そのことを信じる信仰が大事だとエルサレム会議で確認されていましたよね。

この会議のきっかけは、元パリサイ人でクリスチャンたちになったユダヤ人たちの訴えでした。ユダヤ人男性のしるしである「割礼」を受けなければ、救われないとの主張でした。その主張は、エルサレム会議で完全に退けられたはずなのに、パウロはなぜ、ここでテモテに割礼を受けさせたのでしょうか?

パウロの判断、パウロの行動は、これまで語ってきたことと矛盾しているのでしょうか? 人の目、特にユダヤ人の目を恐れて、福音の真理を捻じ曲げ、妥協してしまったのでしょうか?

そうではありません。テモテの割礼は、3節に説明されているように、これからの宣教のために必要なことだったのです。救いの条件=神の恵みのみ、また信仰のみ。その原則は決して変えません。変わりません。

けれども、福音宣教のために、特に各地に離散して住んでいるユダヤ人への宣教のために必要と判断したので、テモテに割礼を受けさせたのです。

お父さんが異邦人のテモテは、まだ割礼を受けていませんでした。そのままでは、各地に建てられていたユダヤ人の会堂=シナゴーグ(今の私たちで言うとことの教会堂)の中には入れなかったのです。

パウロの宣教は、まず行った先の町で ① ユダヤ人の会堂に入って行きます。安息日ごとの礼拝に出席し、旧約聖書のみことばの朗読がなされた後、そのみことばから主イエス・キリストを証しし、福音を宣べ伝えていくのです。まず自分と同じ民族、同胞の救いを真剣に求めていたパウロでした。福音を受け入れ、イエス様を「我が神・我が救い主」と信じ、クリスチャンとなる人たちも起こされましたが、「ユダヤ当局の手によって捕らえられ、十字架刑で殺されるような男が救い主であるはずがない、しかもその男がよみがえったなんて作り話だ」と福音を否定するユダヤ人たちも多くいました。パウロたちは、各地のユダヤ人から反発を買い、迫害され、会堂から追い出されてしまいます。しかし、そこから ② その地の異邦人への伝道が始まり、拡大していくのです。それでも追い出され、また次の町へ行って、① から再開していくのです。

一人でも多くの人が救われるために、特に同胞ユダヤ人の救いのために、パウロは同行するテモテに割礼を求めたのです。福音の真理は不変であり、変えようがありません。しかし福音を伝えるために、パウロたちは柔軟に考え、最善をはかっていったのです。

このパウロの伝道姿勢が、はっきりと語られているみことばが先ほど交読したⅠコリント9章19~23節ではないでしょうか。「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。 - すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。」

テモテの割礼も、この姿勢の表れではないでしょうか。

戦後アメリカから日本にやって来て、田舎で開拓伝道をしてくださった宣教師のすてきなエピソードを聞いたことがあります。ある日、宣教師の奥様がショーウインドウのガラスに映ったご自分の姿を見られて、こう思ったそうです。「この自分の目が青色ではなく、日本人と同じ黒色なら、もっと日本人と親しくなれて、日本人にイエス様を伝えることができるのではないだろうか?」 割礼を受けたテモテの心も、受けさせたパウロの心もそうだったのではないでしょうか。

私の母校の神学校には、韓国の教会から日本宣教のために学びに来てくれた学友たちが多くいました。友人の韓国人献身者は、日本では祈り会で、韓国式の祈りを抑えるようにしたそうです。韓国では激しく叫ぶような祈りをしていた。多くの兄弟姉妹がそうしていた。しかし日本では、そうすると一緒に祈る人がびっくりしてしまう。日本人のように静かに祈るようにしていますと教えてくれました。他にも納豆を食べるようにしたり、日本人のコミュニケーションの取り方にならったり、様々な努力をしていると教えてくれました。

もう20代になっていたと言われているテモテの割礼です。楽なことではありませんでした。今のように麻酔がなかった時代、激しい痛みが生じたでしょうし、細菌などに感染する危険も伴っていたでしょう。それでもテモテは、同胞ユダヤ人の救いのために、それを引き受けたのです。

私たちは、友の救いのため、家族の救いのため、何をしているでしょうか? 

祈ります。

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福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】

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