「連続する宣教の働き」

使徒の働き 18章12節―23節
12. ところが、ガリオがアカイアの地方総督であったとき、ユダヤ人たちは一斉にパウロに反抗して立ち上がり、彼を法廷に引いて行って、
13. 「この人は、律法に反するやり方で神を拝むよう、人々をそそのかしています」と言った。
14. パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人の諸君。不正な行為や悪質な犯罪のことであれば、私は当然あなたがたの訴えを取り上げるが、
15. ことばや名称やあなたがたの律法に関する問題であれば、自分たちで解決するがよい。私はそのようなことの裁判官になりたくはない。」

16. そうして彼らを法廷から追い出した。

17. そこで皆は会堂司ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。

18. パウロは、なおしばらく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリアへ向けて船で出発した。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアで髪を剃った。

19. 彼らがエペソに着くと、パウロは二人を残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じ合った。

20. 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、パウロは聞き入れず、

21. 「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。

22. それからカイサリアに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンティオキアに下って行った。

23. パウロはアンティオキアにしばらく滞在した後、また出発し、ガラテヤの地方やフリュギアを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。

礼拝メッセージ

2023年7月30日

使徒の働き 18章12節―23節

「連続する宣教の働き」


本当に厳しい夏を過ごしています。梅雨が明けてから、雨が一滴も降らない毎日で、灼熱の太陽にさらされた家庭菜園の土は干からび、カチコチに割れています。7月27日、国連のグテーレス事務総長は、「地球温暖化の時代は終わりました。地球沸騰化の時代が到来したのです」と警告しましたが、まさにその通りだなあと実感しています。教会の皆さんが、ご自宅やお仕事の場で、また日々の出入りや生活において、危険や災いから守られ、何とかこの夏を乗り越えていけるように互いに祈り合っていきましょう。

この夏は熱中症予防のため、昼間の外出をできるだけ控えるようにと言われていますが、皆さんは普段の生活でお買い物に出かけたり、通院したり、あるいは散歩したり、旅行に出かけたりする際、行きの道と帰りの道は同じコースを選ぶことが多いですか? それともあえて違う道を選んだりするでしょうか?

私は急ぎの用の場合は、行きも帰りも同じ道を選びますが、少し時間に余裕のある時などは、あえて違う道で帰ってくることがあります。行きが大通り(メインストリート)なら、帰りは一本裏手の小道を選んだりと。同じ町でも違う道を選ぶことで、見慣れた景色ではない新しい発見があったりします。

3度にわたるパウロたちの宣教旅行の旅路を地図でたどっていきますと、往路で訪問しクリスチャンが誕生した町を、復路でも再訪問し、信徒たちを励ましていたりします。しかし大きく概観しますと、往路と復路で違うルートになっていることに気付きます。ぐるっと周遊するようなコースであったり、航路や時間の都合で、行きと帰りの道が違っていたりします。パウロの選択というよりも、神様の導き、御霊の導きにより選ばれていった道であり、町なのでしょう。

そしてパウロの時代、実用的技術に優れていたローマ人による帝国が、広大な領土を支配していました。ローマ人は優れた建築技術で石畳の街道を各地に張り巡らしていました。いつどこで暴動が起きても、軍隊を派遣して鎮圧するための道路でしたが、パウロたちはその街道を歩いて各地に宣教して行きました。神様は、この地上の権力者たちの公共工事をも用いて、イエス様の福音を世界各地に届けてくださったのです。

さて今日の聖書箇所は、第2回伝道旅行の復路での出来事です。使徒の働き15章の終わりから(40節~)記されている第2回伝道旅行。出発地点はシリアのアンティオキア教会でした。そこから小アジア(現在のトルコ)の町々を訪れ、御霊に導かれるままにパウロたちは海を渡って、ギリシャへと向かいました。イエス・キリストの福音が、アジアからヨーロッパの人々のもとへ届けられたのです。

そして今、パウロたちがいる場所は大都市コリントです(18:1~)。コリントから復路、エルサレム教会さらにアンティオキア教会へと帰って行きます。往路でたどった道とは違う道を通りながら、パウロたちは第2回目の伝道旅行を閉じようとしています。

往路、旅の前半に起こった出来事について、聖書は詳しく、多くのページを割いて書き残しています。しかし復路、コリントからアンティオキア教会へと至る帰りの道について、聖書はあまり多く語りません。使徒の働き18章の18節から22節までの数節だけです。そして23節から、すぐに第3回目の伝道旅行へと話題が移っていきます。

今日は、帰り道に起こった出来事を通して、私たちに先週与えられたみことばを再確認していきましょう。使徒の働き18章9、10節  ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」

「語り続けなさい」とのみことばの通りに、神様も宣教の業をずっと継続してくださっています。私たちに宣教し続けるようにと導いてくださっています。パウロにこのみことばが与えられた時も、それから約2,000年たった今も宣教の働きはずっと継続しているのです。

「恐れないで、語り続けなさい」とイエス様から励まされ、新しい力を与えられたパウロは、18章11節にありますように1年半コリントの町に腰を据えて、伝道と教会形成にあたりました。「1年半」というのは、いつも迫害に遭い、すぐに町を追い出されてばかりのパウロにとって、かなり長い滞在期間でした。

当時、コリントがあるアカイア州(ギリシャ南部の地域)を治めていたのは、ガリオという地方総督でした(12節)。総督はローマ皇帝から直接任命され、各属州に遣わされていた権力者でした。任期はだいだい一年です。ガリオがコリントにいたのは、紀元51、2年頃と記録されています。イエス様の死と復活から約20年後には、イエス様の福音は、はるか遠くコリントまで届いていたのです!

しかし、パウロが語るイエス様の福音に反発し、その宣教を妨害しようとする人たちが、いつもいました。コリントのユダヤ人たちは、クリスチャンとなる人たちがどんどん増えていくことに危機感を抱きました。総出でパウロを総督ガリオの法廷に訴え出たのです。「この人は、律法に反するやり方で神を拝むよう、人々をそそのかしています」と。「パウロが、旧約聖書の教え=律法に背くことを教えています。どうか取り締まってください。それを禁止してください」と。

総督は大きな権力を持っていました。特にこのガリオは哲人セネカ(3年後にローマ皇帝に即位したネロの家庭教師)のお兄さんでした。総督の決定はその州の中だけにとどまらず、周りの州にも判例として大きな影響を与えたそうです。ですから、この時、総督が下す判決は大変重要でした。総督ガリオは、面倒くさいことには巻き込まれたくないという人のようです。「ユダヤ人の諸君。不正な行為や悪質な犯罪のことであれば、私は当然あなたがたの訴えを取り上げるが、ことばや名称やあなたがたの律法に関する問題であれば、自分たちで解決するがよい。私はそのようなことの裁判官になりたくはない」と、「私は、ユダヤ人同士の宗教的なもめごとには関わりたくない。勝手にやってくれ」と訴えを却下するのです。

この時のガリオの決定により、この後10数年間、キリスト教は自由に宣教することができるようになりました。次々に教会が生み出されていきました。ローマ皇帝ネロが、クリスチャンに大迫害を加える日まで、そんな時代が続きました。「わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない」との神様の約束は実現したのです。

総督に訴えを取り上げてもらえなかった町のユダヤ人たちは、怒りの矛先を別のところに向けていきます。ローマの市民権をもっているパウロを、裁判を経ないで罰することはできませんので、代わりに会堂司(管理者)のソステネを捕らえ、法廷の前で打ち叩いたのです(17節)。ソステネは福音に好意的な印象を抱いたのでしょう。もしかしたら、パウロがユダヤ人の会堂でメッセージをするのを許してくれていたのかもしれません。

 そんな会堂司はけしからんと、仲間であるはずのユダヤ人がソステネを痛めつけたのです。ソステネの名前がコリント人への手紙 第一の冒頭にも登場します。「神のみこころによりキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ」(1:1、2)ソステネは、不条理を味あわされ、身も心もぼろぼろにされても、イエス様を信じ抜いた信仰者でした。苦しみの中にあっても、「わたしがあなたとともにいる」と言ってくださるイエス様を信じ続けたのです。そしてパウロは、「この町には、わたしの民がたくさんいるのだから」の約束を信じ、コリントで福音を証し続けます。

1年半後、ケンクレヤの港に行き、髪をそった後(伸ばしていた髪を切り落とし、神様に宣教の祝福を感謝したく、その髪をエルサレム神殿でささげものとするために)、船に乗って帰りの道に向かうのです。(18節)。

 帰り道、立ち寄ったのはエペソ(19節)。往路でパウロが行きたいと願いながらも、御霊に禁じられ、訪れることができなかった大都市でした。今度はそこで福音を語るチャンスを獲得したのです。しかも町の人たちも「パウロ先生、ずっとこの町に留まってください。私たちにもっとみことばを教えてください」と求めました(20節)。そんなことを言ってもらえたら、牧師としてうれしくなってしまいますが、パウロは示された神様のみこころに従ってエペソを発ち、エルサレムへと旅を急ぐのです。

そしてエルサレムからアンティオキア教会に戻って行きます(22節)。アンティオキア教会はパウロたちにとって、ほっとできる母教会でした。パウロを宣教師として送り出し、祈りとささげもので支援してくれる教会です。なつかしい仲間たちと再会を喜びながら、今回の宣教の報告もしながら、パウロたちはゆっくり骨を休め、力を回復していきました。

そして、「パウロはアンティオキアにしばらく滞在した後、また出発し、ガラテヤの地方やフリュギアを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」(23節)のです。ここは、さらっと読むと見落としてしまうのですが、22節が第2回伝道旅行のゴール。この23節からは、第3回目の伝道旅行が開始されていきます。再びパウロは、福音を宣べ伝えたいと立ち上がるのです。あの町のあの教会、あの信徒さんにもう一度会って励ましたいとの思いがあふれてきて、居ても立ってもいられずに、旅の危険も厳しさも何もかも分かった上で、神様だけを信頼して再出発するのです。

 第1回目、第2回目、そして第3回目と神様の宣教の業、神様がパウロに託してくださった福音宣教は継続していきます。

 私たちは先週、「恐れないで、語り続けなさい」のみことばが与えられました。「し続けなさい」と語られているように継続すること。あきらめず、たゆまずに、し続けることを求めていきたいと思います。

 何をし続けるのでしょうか? 

語り続けること。伝道し続けること。証し続けること、みことばを読み続けること。学び続けること。祈り続けること。賛美し続けること。奉仕を続けること、などなどでしょうか? 

どれも大事ですが、それよりも、まず大事なことは、神様のみこころを求め続けることではないでしょうか? 神様を慕い、神様に対して飢え渇きを持ち続けることです。その姿勢を大事にしたいと思います。

パウロはエペソの町で、「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」と語って、あわただしく去って行きます(21節)。実際、次の第3回伝道旅行でエペソを再訪問し、その時には2・3年エペソにとどまっています(19:1―20:1)。大事な宣教の拠点となる大都市エペソ。しかし第2回目伝道旅行の復路では、短期間でそこを立ち去るのです。神様から次に行きなさい、早く帰りなさいと示されていたからでしょう。「神のみこころなら」と。

私たちも自分の願いや自分の計画ではなく、ただただ神様のみこころが成ること。神様のご計画が、私たちを通して実現していくことを、求め続けていきましょう!「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と。

先ほど交読しましたイザヤ書55章8・9節で、

 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば── 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

と、主は語っておられます。

神様の思い(心・願い・考え・常識など)と、私たち人間のそれは、時に異なっているのです。

だからこそ私たちは、神様のみこころを、みことばから尋ね求め行くことが大事です。

神様のみこころを、祈り求め、考え、思い巡らしていく信仰生活が大事です。

行動しながら、歩み続けながら、イエス様の思い・神様の思いを知っていく人生です。

そのように神様に導かれて、私たちは力を頂き、満たされて、歩み続けていけるのです。

 忙しい時代、忙しい世の中です。やらなくてはいけないと思うことが、押し寄せて来るように感じる時もあります。そんな中、私たちは神様のみこころを見失わないようにしたいと思います。本当に大事にすべきこと=神様が私たちに求めておられることは何なのか? 優先順位を間違わないようにしたいと思います。

 なすべきことと、今はしなくても良いこと、そういった事柄を見極めていく、そして本当に大事にすべきことを大事にしていく信仰の目、霊的な目を持たせていただきましょう。

お祈りします。

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