「恐れないで」

使徒の働き 18章1―11節
1. その後、パウロはアテネを去ってコリントに行った。
2. そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。パウロは二人のところに行き、
3. 自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
4. パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人を説得しようとした。

5. シラスとテモテがマケドニアから下って来ると、パウロはみことばを語ることに専念し、イエスがキリストであることをユダヤ人たちに証しした。

6. しかし、彼らが反抗して口汚くののしったので、パウロは衣のちりを振り払って言った。「あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のところに行く。」

7. そして、そこを去って、ティティオ・ユストという名の、神を敬う人の家に行った。その家は会堂の隣にあった。

8. 会堂司クリスポは、家族全員とともに主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。

9. ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。

10. わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」

11. そこで、パウロは一年六か月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。

礼拝メッセージ

2023年7月23日

使徒の働き 18章1―11節

「恐れないで」


「好事(こうじ)魔多(まおお)し」ということわざがあります。良いことや出来すぎていることは、ややもすると、邪魔がはいりやすいという意味だそうです 。「月に叢(むら)雲・花に風」も似たような意味だと記されていました。

(『成語林 故事ことわざ慣用句』(旺文社、1992年)376ページ。)

どうでしょうか? 私たちの日々、順調に思える時に思いがけない落とし穴に落ちてしまうことがありませんか? 物事が思い通りに進んでいるように感じる時、成功に向かっているように思う時に、大きなトラブルに見舞われたり、失敗したりしてしまうことがあります。

順調に行き過ぎて自分自身、調子に乗ってしまっているせいもあるでしょうか?油断が心に沸いてくるからでしょうか? または周りからのねたみ・嫉妬による陰口や妨害が、行く手をはばむこともあるでしょうか?

パウロの宣教もいつも妨害されてばかりでした。特に同胞ユダヤ人のねたみによる妨害がありました。「保守的ユダヤ教の自分たちの所から人々が去って行く。そして新参者のどこの馬の骨かも分からないパウロのもとに多くの人たちが集まっていく」その人気を警戒し、ねたむ人たちがパウロの宣教を妨害したのです。

使徒13:45 「しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。」
使徒17:5 「ところが、ユダヤ人たちはねたみに駆られ、広場にいるならず者たちを集め、暴動を起こして町を混乱させた。そしてヤソンの家を襲い、二人を捜して集まった会衆の前に引き出そうとした。」

今回のギリシャ・コリントでの宣教もユダヤ人の妨害にあいます。しかし主イエス様は、パウロに語り掛けてくださいました。

ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」(18:9,10)

 パウロがコリントの町で伝道をしていた時、夜、幻の中にイエス様ご自身が現れ、語ってくださいました。この時、パウロは第2回目の伝道旅行の途上にありました。アテネからコリントに下って来たところでした(アテネからコリントまでは距離80キロほど、歩いて16~18時間)。

コリントという町は、今から2,000年ほど前のこの時代、約70万近くもの人々を抱えていた大都市でした。交通の便がよく、貿易の中継地点として、大変にぎわっていました。そのため、次第に町の道徳や風紀が乱れていきました。「コリント化する」という言葉は、「不道徳を行う」という意味で使われるほどでした。

 パウロは、このコリントの町に一人だけでやって来ただろうと思います。旅のお供をしていたテモテやシラスは、まだピリピやテサロニケの町に居残って伝道を続けていました。パウロは一人で、最初に学問と芸術の都アテネに行き、福音を宣べ伝え、それから大都会コリントにやって来ました。

その時のパウロの心中が、先ほど交読しましたコリントの教会に宛てた手紙 第一の2章に記されていました。「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(2:3)と。この時、パウロはおびえていました。一人で大都会にやって来た不安があったのでしょうか? それ以上に、アテネの町で「イエス様がよみがえられた」と語った時、アテネの知識人や哲学者たちに馬鹿にされ、笑われた経験が、パウロの心に深い傷となって残っていたのではないかと思います。

ギリシャの詩人や哲学者の名言を披露しながら、生ける真の神を、救い主イエス様を証ししようとしたが、うまくいかなった…。自分の選んだ方法、言葉は間違っていたのではないか? ああこうすれば良かった、こう語ればよかったという後悔が沸いてきたでしょうか。自らの弱さ・至らなさを思い知らされ、恐れおののく伝道者パウロを、主イエス様は力付け、励ましてくださいます。主イエス様は、このコリントの町でパウロに多くの助け手を与えくださいました。

まず2節の「アキラとプリスキラ夫婦」です。二人はパウロと同じ仕事をしていましたね。動物の皮で天幕=テントを作る職人さんでした。そしてアキラとプリスキラは、これからもずっとパウロの良き理解者また協力者として、宣教に携わっていくのです。アキラとプリスキラ夫妻と出会えたこと。パウロにとって、それは、本当に大きな励ましでした。

さらに、ピリピ教会から、たくさんの宣教献金、パウロ先生への指定献金が届けられました。シラスとテモテがその献金を持ってやって来ました。ピリピ人への手紙 4章14-15節にその献金のことが記されています。

「それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。」

パウロは、神様がピリピ教会を通してくださったものだけで生活できるようになり、もう天幕作りの仕事をしなくても良くなりました。アルバイトをしないで、平日も福音を宣べ伝えることに集中できるようになりました。仲間がやって来てくれた。そして、ピリピ教会のあつい祈りが込められた献金が届いた。パウロにとって、それも本当に大きな励ましでした。

主イエス様から勇気と力を回復させて頂いたパウロは、コリントの町にあったユダヤ教の会堂に入って行きます。ユダヤ人とギリシャ人を前に、イエス様こそ救い主=キリストであると、はっきりと、力強く語ったのです。ユダヤ人たちは、それに反発し、暴言を吐き、パウロを会堂から追い出そうとします。しかし、パウロはひるみません。

「あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のところに行く。」(18:6)と“たんかを切って”会堂から飛び出して行くのです。

そして、そこを去って、ティティオ・ユストという名の、神を敬う人の家に行った。その家は会堂の隣にあった。

しかも驚くことに会堂を飛び出して、次に行った場所は何と隣の家、まことの神を信じ敬うティティオ・ユストさんの家でした。そこで、再びイエス様を証しし始めたのです。「あなたたちのことなんて、もう知らん。私は、異邦人へ宣教する」そう言って、飛び出していった場所は、なんと隣に立つ民家だったのです! ワクワクするような出来事であり、神様のユーモアって面白いなあと思いませんか!

新しい場所での伝道は神様の祝福で満ちていきます。会堂司(管理者)というユダヤ人社会で力を持っている人、クリスポさんの家族が全員イエス様を信じて救われたのです!さらに、コリント在住の多くの人たちがクリスチャンとなっていくのです。ここからコリント教会が誕生していきます。

宣教が順調に進み、信徒が増え、乗りに乗っているような時に、イエス様が幻の中に現れ、パウロに語りかけてくださるのです。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」と。教会が成長し、伝道が成功しているように思える時に、神様は「恐れるな。語り続けよ。黙ってはいけない」と励ましてくださるのです。「好事魔多し」の恐れがパウロの心によぎっていたでしょうか? こんなに順調に宣教が進んで良いのだろうか? 反対にもっと恐ろしいことが待っているのでは、そんな恐れをイエス様は吹き飛ばしくださったのです。

私たちも、イエス様のこの御声を自らに与えられた御言葉として、聴いていきたいと思います。主が再臨される日まで、私たちは伝道の業、イエス様の福音を宣べ伝える働きに携わっていきます。教会がどんなに大きくなっても、私たちは「もう十分です」とは言いません。「もう伝道することは止めよう」とは言いません。黙らないで、イエス様の御救いを喜びをもって告げ知らせていきたいのです。

イエス様は、「この町には、わたしの民がたくさんいるのだから」と見てくださっています。この福井市に、嶺北の町々に、福井県の至るところに、わたしの民がたくさんいると見てくださっています。十字架の救い、全き罪の赦しを与えたい。イエス様がそう願っておられる方々が、私たちの周りに、まだまだたくさんいます。まことの希望、永遠のいのちを与えたいと、主が願っておられる方々が、たくさんいるのです。

だから、私たちは恐れないで、黙らないで、伝道をし続けていきましょう! 現実だけを見ると、恐れたくなるような現実、否定的な思いになる要因が幾つもあります。少子高齢化社会です。日本全体の人口が減っています。福井県からも若者たちがどんどん旅立って行っています。教会にとっても、難しい現実のように思えます。人々の、特に若者たちの「宗教離れ」が進んでいると言われています。一般の人々は、キリスト教に対しても警戒心を抱いているのではないか。無関心になっているのではないか。伝えようとしても相手にされないのではないだろうか? 聞く耳を持ってくれないのではないか。馬鹿にされるのではないだろうか?

そんな人間的な恐れが、私たちの内にあるかもしれません。

でも私たちは、恐れなくて良いのです。「わたしがあなたとともにいる」と語ってくださるイエス様がいつも共にいてくださいますから。全知全能の主が、私たちと共にいてくださり、私たちの味方でいてくださいますから、私たちは、恐れる必要がないのです。

そして私たちが伝えたい、知って欲しいと願っている「福音」は、まがい物でものなく、人をだますものでもなく「真理」です。神話でも作り話でもなく、歴史上、本当に起こったことです。私たち一人ひとりを救い出し、生かしてくださる神の力です。

私たちはまず自ら、この福音の素晴らしさを、さらに知っていきたいと思います。この福音が何にも変えがたい絶大な価値を持っていることを、しっかりと心から味わっていきましょう! イエス様の十字架の死によってすべての罪が赦されていること。そしてキリストのよみがえりのいのちによって、私たちにも、永遠のいのちが与えられていること。天国行きの切符を確実に頂いていることを、しっかりと噛みしめていきましょう! それ以外に救いはないことを、心の底から信じていきましょう!

イエス様の愛、福音の豊かさに満たされて、私たちは出て行きます。家族のもとに、地域の人々のもとに、職場に、学校に、キリストの愛をもたらしていきたいと思います。


私は今年も毎朝、アメリカからの野球のニュースが気になります。あの大谷選手がホームランを打ったか、勝ち投手になったかと。一昔前は、イチロー選手でした。イチロー選手は、日本でも、アメリカでも、ずっと毎年、ヒットを打ち続けていたスーパースターです。当たり前のようにヒットを打っている。その背後で人一倍、練習を積み重ね、努力し、研究し続けていました。


主イエス様は、私たちに「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない」と御言葉を与えてくださいました。イチロー選手のような、たゆまぬ準備と努力、そして継続してヒットを打ち続けること。そんな伝道を私たちも続けていきたい。続けさせていただきたいと思います。

お祈りします。



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