「主のために生きる」

ヨハネの福音書 19章 38―42節
38. その後で、イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り降ろすことをピラトに願い出た。ピラトは許可を与えた。そこで彼はやって来て、イエスのからだを取り降ろした。
39. 以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬 と沈香 を混ぜ合わせたものを、百リトラ ほど持ってやって来た。
40. 彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻いた。

41. イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。

42. その日はユダヤ人の備え日であり、その墓が近かったので、彼らはそこにイエスを納めた。



礼拝メッセージ

2024年8月25日

ヨハネの福音書 19章 38―42節

「主のために生きる」


先週まで礼拝では「使徒信条」の信仰告白から「クリスチャンは何を信じているのか」ということを一つひとつ学んで来ました。そして今日は、「神様を信じるとは具体的にどう生きることなのか」ということを聖書の信仰の先輩たちの歩みを通して、教えられていきたいと願っています。

今日の聖書箇所、イエス様埋葬の場面に出てくるアリマタヤのヨセフとニコデモは、共にユダヤの最高法院(議会)=サンヘドリンの議員でした。国会議員です。マルコの福音書15章43節には、「ヨセフは有力な議員で」とあり、ニコデモについてもヨハネの福音書3章1節「さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった」と記されています。力も人望もあった人でした。

二千年前のイスラエルは、現代のように国会(立法)と裁判所(司法)と官僚組織(行政)と三権が独立していませんでした。ユダヤの最高法院(議会)は、立法権・司法権・行政権すべてをあわせ持っている絶大な力を持った組織でした。


ちょっと時間をまき戻して、イエス様裁判の場面を思い出したいのですが、イエス様を死刑にしようと決め、イエス様の身柄をローマ総督ピラトのもとに送ったのは、このユダヤ最高法院(議会)でした。裁判所としての役割もになっていたのです。

ルカの福音書22章66節には、「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まり、イエスを彼らの最高法院に連れ出して ― 」とあります。受難週の金曜日、夜明けと同時に緊急議会(法院)が召集されます。長老会、祭司長、律法学者たちは、「もうこの日のうちにイエスを亡き者にしよう、決着をつけてしまおう」と陰謀を練っていました。木曜の夜遅く、ゲツセマネの園で逮捕されたイエス様は一晩中、厳しく取調べられます。そして夜明けと同時に開かれた緊急議会(法院)の場で、罪のまったく無い聖なるお方=イエス様が、死刑だと断罪されたのです。

けれども当時、ユダヤはローマ帝国の支配下にありました。植民地支配されていたユダヤ法院(議会)には、死刑判決を下し、死刑を執行する権限がありませんでした。ローマからやって来た総督ピラトのもとに行って、「この男はローマ帝国に反逆する危険な存在です。早く死刑にしてください。十字架に付けて殺してください」と、法院はピラトに要求したのです。

その場面、ルカ23章1節には「集まっていた彼ら全員は立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った」と、記録されています。全議員がイエス様を死刑にすると一致したのです。全会一致、議員全員が賛成票を投じたということでしょうか・・・。同じ出来事を、マルコの福音書14章64節は、「すると彼らは全員で、イエスには死に値すると決めた」と記しています。

私たちは立ち止まって、考え込んでしまいます…。では、この裁判の場面、イエス様を慕っていた議員たちはどんな行動をとったのだろうかと。ニコデモ議員だって、イエス様を死刑にしたくはなかったはずです(ヨハネ7章45―52節参照)。ニコデモは以前イエス様のもとを訪問していました。イエス様に惹かれ、このお方にまことの救いがあるのではないかと求めていました(ヨハネ3章)。ニコデモは求道者でした。アリマタヤのヨセフ議員は、イエス様の弟子であったと記されています(ヨハネ19章38節)。彼らは、どう行動したのでしょうか?  

ニコデモとアリマタヤのヨセフは、イエス様裁判の場面、何をしていたのでしょうか? イエス様裁判の場面、弁護人・弁護士はいませんでした。「イエス様は悪くない。完全に正しいお方だ」と、イエス様の無罪を主張する証人は、誰一人いなかったのです。裁判の場面にいた人たちは皆、イエス様を亡き者にしようとしていました。

ニコデモとアリマタヤのヨセフは、その日、イエス様を弁護することができなかったのでしょうか?

ルカ23章51節には、「彼(アリマタヤのヨセフ)は、議員たちの計画や行動には同意していなかった」とあります。けれども結果的には全員一致で「死刑」と決めたのです。いったい、どういうことなのかと思います。考えられる可能性としては、

① ニコデモとアリマタヤのヨセフは、この早朝の緊急議会は棄権し欠席した。そういう抗議の方法を取った。 

国会でも、自らの信念に基づき、党議拘束に背いて本会議を欠席し、賛否が分かれる重要法案の投票に加わらない議員がいたりしますよね。

② 最高法院は、民主的にみんなで話し合って決める議会ではなかった。議長は大祭司=ユダヤ教の一番のトップで、絶大な権力者であった。大祭司が決めたら、他の議員はそれに従わざるを得なかった。

ニコデモもアリマタヤのヨセフも、心の中ではイエス様の死刑に反対していた。けれども、裁判の結果は最初から決まっていた。二人が抵抗しても、どうしようもなかった。

③ ニコデモもアリマタヤのヨセフも、イエス様の弟子であることを隠していた。 

自分がクリスチャンであることがばれるのが恐くて、それが分かると自らの立場・地位を失ってしまう。自分を守るために、この時、イエス様を見捨ててしまった。裁判の場面でイエス様を弁護できなかった…。

そんな可能性が思い浮かびますが、皆さんはどう思われますか? とにもかくにも、イエス様の有罪・無罪、生・死を決する大事な場面で、一番イエス様の味方とならなければならない場面で、ニコデモもアリマタヤのヨセフも、信仰と勇気を示すことができなかったのです。それは。この2人の議員だけではなく、弟子たちもそうでした。

彼らの姿を見つめながら、私自身のイエス様に対する信仰はどうだろうかと思わされます。人の顔色を恐れ、自分の生活に波風が立たないようにと、クリスチャンとしての生き方を妥協してしまってはいないだろうかと。 

まっすぐにイエス様だけを信じて、まっすぐにイエス様に聴き従い、聖書のみことばに従っているだろうか? まっすぐにイエス様のために生きているだろうか? と問われる思いがします。そう言われると、苦しい・・・でしょうか?

クリスチャンであることを隠している。学校の中で、友だちの中で、社会の中で。

そして世の中の考え方に染まってはいないでしょうか。いい加減な信仰生活を送っている。でも、「もうおれは、私は駄目だ」とは思ってほしくないのです。イエス様は、あのニコデモのためにも、あのアリマタヤのヨセフのためにも、十字架で身代わりに死んでくださったのです。私のためにも、あなたのためにもです。

そしてニコデモとアリマタヤのヨセフは、イエス様の十字架を見たときから、二人の歩みは大きく変わっていったのです。

ヨハネの福音書 19章 38、39節
38. その後で、イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り降ろすことをピラトに願い出た。ピラトは許可を与えた。そこで彼はやって来て、イエスのからだを取り降ろした。39. 以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。

当時のローマの習慣では、十字架で処刑された者の死体は粗末に扱われたそうです。谷間に投げ捨てられ、野獣の餌食になることもありました。罪人として処罰された者は、死んだ後もはずかしめを受け続けなければなりませんでした。ただし罪の度合いと家族からの申し出があった場合、例外として死体の下げ渡しが許可されることもありました。血のつながったイエス様の弟たちは、まだイエス様を信じていませんでしたから(ヨハネ7:5)、弟たちがなきがらの下げ渡しを申し出ることはなかったでしょう。またほとんどの弟子たちは、逃げ隠れていました。

そこに一人の有力者、アリマタヤのヨセフが立ち上がったのです。総督ピラトのもとに行き、イエス様の遺体の下げ渡し許可を求めます。ピラトは快諾します。その背後には、ピラトの良心の呵責があったのかもしれません。「無実の男を死刑にしてしまった・・・」という思いです。

この時、ニコデモも葬りの手助けを買って出ました。こうして二人の国会議員の手によって、イエス様の遺体は粗末に扱われることから守られ、手厚く葬られたのです。もしも、この二人が申し出なかったとしたら、イエス様のお体はどうなっていたでしょうか? どこに葬られたのかも分からないままになっていたかもしれません。そうだったとしたら、「あの墓の中からよみがえられた!」という復活の事実があいまいにされた可能性がありました。そう考えると、アリマタヤのヨセフとニコデモが行ったことは、本当に大切なことでした。

アリマタヤのヨセフはそれまで、自分の信仰が表に出るようなことは、極力避けてきました。ユダヤ人を恐れて、人の目を恐れて、いわば「隠れキリシタン」として生きてきました。しかし、イエス様が十字架に架かり死なれたのを目撃したとき、ヨセフは主の死を他の誰よりも重く受けとめたのです。我々指導者の悪意とねたみによって、罪無きお方がなぶり者にされ、むごたらしい死を遂げられたのです。イエス様の死の気高さに、特別なもの・神聖なものを感じたのではないでしょうか。

「イエス様の死は、私の罪を赦すための身代わりの死であった」この時のヨセフはまだそこまで理解できていなかったでしょう。けれども十字架を前にした時、これまで自分の信仰を公に出来なった彼が、一歩踏み出し、イエス様のために生きようという決断に導かれたのです。

それはニコデモも同じでした。ニコデモがイエス様の葬りのためにささげた没薬と沈香(じんこう)(これまでの新改訳聖書では「アロエ」となっていた)を混ぜ合わせたもの100リトラほど=約30キログラム。これは普通の量ではありませんでした。 

* 没薬(もつやく):アラビア南西部山岳地帯の数ヵ所と対岸の東アフリカのソマリアの一定地域に限定されて生育する植物の樹皮の樹汁を自然乾固した赤褐色の植物性ゴム樹脂。「没薬」は中国で名づけられた漢薬名。没薬は古代からオリエントで香料として用いられ,エジプトのミイラ作りに欠かせぬ香薬だった。(平凡社『改訂新版 世界大百科事典』より)


* 沈香(じんこう):主に東南アジアに産するジンチョウゲ科の樹木に、樹脂が長い間を経て凝結したものです。特有の清澄で上品な香りがします。(香老舗 松栄堂ホームページより)

― ヨハネ12章でマリヤが、イエス様の足に1リトラのナルドの香油を注いだと言う出来事が記されています。それは時価300デナリ、今の金額にしますと約300万円(当時の男性の年収に相当)もしました。 ― 

ニコデモがこの時、イエス様の葬りのために用意したものは、300デナリの数十倍、数百倍にあたるものです。惜しみなく主のために、ニコデモもヨセフもささげました。ヨセフは、自分と家族のためにと買っておいた大事なお墓にイエス様を葬ったのです。そこは、まだ誰も葬られたことのない新品のお墓でした。お墓は、今も昔も高価なものです。土地代、墓石代など。イエス様の時代も同じだったでしょう。アリマタヤのヨセフは、その大事なお墓をイエス様にささげたのです。それは自分自身と人生をイエス様にかけ、ささげた行為でした。

このことは失敗でも、大損でもありませんでした。すごいことにつながっていくのです。3日後の日曜日の朝、アリマタヤのヨセフのお墓は空っぽになりました。死んで葬られていたイエス様がよみがえられ、墓から出て行かれたのです!

アリマタヤのヨセフのお墓は、イースター・復活の象徴となりました。私たちもイエス様と同じようによみがえり、永遠のいのちをいただける希望のしるしとなったのです。信仰をもって、主のためにとささげた行為に、神様のすばらしさ・栄光・御力が表されました。神様のために、イエス様のために、自分自身をささげていく時。勇気を与えられて、自分がクリスチャンであることを証しし、イエス様に自分の人生をかけていく時に、本当に素晴らしいことが起こるのです。 

私たちも、そのことを信じて歩んで生きたいと思います。主にかけて、主に自らをささげて歩んでいく。そこに与えられる神様の大きな祝福を体験していきたいと願います。 

祈りましょう。

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