申命記 5章 16節
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに。それは、あなたの日々が長く続くようにするため、また、あなたの神、主があなたに与えようとしているその土地で幸せになるためである。
聖餐礼拝メッセージ
十戒シリーズ ⑥
2024年10月6日
申命記 5章 16節
「父と母を大切に」
十戒の五番目の大切な戒め「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。」(出エジプト記20:12)を、ともに探っていきましょう。
ここで使われている「敬う」という単語は、元々の原語では「栄光を帰する」や、「重んじる・大切にする・恐れる」といった意味があります。親を大切にしなさいと、神様は私たちに命じています。
皆さんの親は、すごい方(だった)でしょうか? 偉大な人でしょうか? 尊敬してやまない両親でしょうか? そう実感できる人もいれば、どんな親も人間ですから、ダメな部分・いい加減なところ、どうしようもない面も持っていたかもしれません。しかし、「尊敬できる親だから、大切にしなさい」と聖書は条件を付けません。たとえそうでなくても、もしかしたら、とんでもない家庭環境に生まれ育ってしまった人であっても、今、目の前にいるあなたの父と母を大切にしなさいと、神様は私たちに語りかけてくださっています。
実の母を前にして、少し緊張しながら、今日のみことばを語っています。母を助けるというよりも、いまだに助けてもらっている身です。私は親元を離れて、一人暮らしを始めた時に、親の偉大さ、母の偉大さを実感しました。洗濯も、料理も掃除も何もかもこなしていた母はすごい!と。
もう一人、父の話もすることもお許しください。十年前に召されていますので、何を言っても許してもらえるかと思いますが。私は今もですが、大変おっちょこちょいな子どもでした。よく転び、けがをし、ひざこぞうをすりむいてばかりでした。ちょっと高い玄関から落っこちたり、ガラスの扉に手を突っ込んだりして、大けがをして、よく外科に行って縫ってもらっていました。ある晩、私はまた大けがをして、緊急で外科に連れて行かれました。血だらけになって外科手術を受けている私を見て、付き添っていた父は気を失い、病院のベンチで横になっていたのだそうです。 血を見るのが苦手な父でした。息子が痛み苦しむ姿を見て、つらくなってしまった。それほど私を愛していたのだろうと感謝しましたが、大の大人が、子どもの血を見て気絶するなんて、なんだか情けないなあ…と、私は心の中で父を笑い、見下していました。
しかし逆の立場になった時、自分が親になった時、父の思いが少しは分かるような気がしました。子どもが38℃代、39℃代と発熱し、せき込んで苦しんでいる姿を見る時、私も胸が締め付けられ、自分の寿命が縮むような思いがします。親子で似ているなあと、気絶した父をなつかしく思い出します。また子どもが熱を出し、風邪を引いた時には、自分が子ども時代に母にしてもらったこと、食べさせてもらったものを思い出しながら、看病します。親にしてもらったように、私も子どもにしているのです。
十戒の第五番目の戒め、申命記5章 16節には、「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに。それは、あなたの日々が長く続くようにするため、また、あなたの神、主があなたに与えようとしているその土地で幸せになるためである。」とあります。神である主が命じたとおりにです。神のひとり子・主イエス様が、父なる神様をいつも敬い、父なる神様のみ教えに従い、父の喜ぶことをいつも選び取られたように、あなたも地上で与えられた父と母を敬いなさいと、神様は私たちに命じておられます。そして父と母を敬うことが、あなたの日々が長く続く=あなたの長寿につながるんだ。神様があなたに与えてくださる土地=神様があなたを生かしてくださっている場所で、あなたが幸せになる=あなたに祝福を与える約束なのです。
十戒は、これまで神様と私たちとの間の正しいあり方を教えて来ましたが、この五番目の戒めからは、神様の御前での、人と人との関係が教えられていきます。その他人との関係の最初の戒めが、家族関係、親子関係なのです。
人は一人では生きていけません。一人では誰も生まれて来ることすらできません。いのちの主である神様は、あなたに親という存在を与えてくださいました。あなたを産んでくださった母親。赤ちゃんであったあなたを愛し、守り、飲ませ、食べさせ、大きくなるまで育ててくれた父親・母親を与えてくださいました。ある方にとって、それは血のつながった肉親ではなかったかもしれません。祖父母、養父母であったり、先生や職員さんであったりしたかもしれません。それでも、誰かがあなたを守り育ててくれたので、今のあなたがいるはずです。あなたを育ててくれた存在、あなたのために大きな犠牲を払ってくれた存在に心から感謝し、どこまでもその方を大切にしなさいと、神様は私たちに大事なことを思い出させてくださいます。
親が元気でバリバリ働いている健康な時もそうですが、そうではなくなった時にこそ敬ってほしいのです。あなたの親が弱り病み、助けを必要としている時にこそ、あなたは父と母を大切にしなさいと、神様は願っておられます。
先ほど交読したマタイの福音書15章にも 、主イエス様のそんな願いが語られています。あなたに年老いた親たちがいるとします。介護施設や年金など無かった当時の世界、子どもたちに親の生活の面倒を見る責任がありました。それが十戒に定められた「父と母を敬う」ことを実践することでした。
けれども子どもは、せっかく自分で稼いだお金を、親たちに渡すのは惜しいとケチりたくなくなります。親に渡すより、自分の好きなことに使いたいと考えます。そこで親を助けなくても良い「抜け道」を考え出すのです。それが「このお金は、神様にささげものとします。だからお父さん・お母さん、あなたには一円も渡せません」という言い逃れの手段でした。
主なる神様に感謝のささげものをすることは大切なことです。しかしその大切なことを、親の生活を支えることをしない言い訳にするなら、本末転倒だとイエス様はおっしゃるのです。神様はそんなことは願っていないと。
そのような本末転倒を、当時のパリサイ人・律法学者は、正しいことだ、そうすべきだと「言い伝え=口伝律法」として教えていたのです。宗教指導者たちもお金に目がくらんだのでしょう…。たくさんささげてほしい、それを自分たちの手元に入れたい。だから「親には渡さなくても良いから、まず神殿で献金を」とうながしていたのです。
イエス様は、あなた方、宗教指導者は、まさにイザヤが預言したとおりの「偽善者だ」と、厳しくその過ちを指摘されたのです。
父母を大事にすることが、あなたの長寿や幸せにつながるという神様の教えは、あなたが父母を敬い、大切にし、最後まで助けるなら、あなたもやがて子どもたちから敬われ、大切にされ、助けてもらえる。しかし反対に、あなたが父母をないがしろにするなら、やがてあなたも子どもから同じような扱いをされる、ということではないかと思うのです。子は親を映す鏡だからです。自分の親がおじいちゃん・おばあちゃんにどのように接しているかを、子どもたちはちゃんと見ているのです。そしてやがて、同じようにするのです。
憎しみや不幸の連鎖をつなぐのではなく、愛と幸せの連鎖を親から子へ、そして孫へとつないでいけたらと願います。
もうすでに肉親は、この地上にいないという方々もおられるでしょう。それでも、大丈夫です。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう」(創世記2:18)と言われる神様は、私たちにもう一つの家族、神の家族である教会を与えてくださっています。私たちは神の家族の中に、お父さん・お母さん、おじいちゃん・おばあちゃん、おじちゃん・おばちゃん、お兄さん・お姉さん、弟・妹、いとこたち、子どもたち、孫たちが与えられています。ともに歩んで行くこの神の家族の中でも「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに」という戒めを実践していきましょう。
主イエス様は、私たち神の家族に期待してくださっています。
ヨハネの福音書15章9―14節、
9. 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
10. わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。11. わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。
12. わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
13. 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
14. わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
父母を敬い、愛することをイエス様は身をもって示してくださいました。また、子どもたちのような私たちために、イエス様は、ご自身のいのちまでお捨てになられて、大きなご愛を注いでくださいました。
神の家族は、このキリストの愛の中にとどまり続けていてほしい、愛されている喜びの中にとどまり続けていてほしい。それがイエス様の切なる願いです。私たち神の家族への期待です。イエス様のこの期待に応えていける神の家族でありたいと、心から願います。
祈りましょう。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
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