「誠実な生き方」

マタイの福音書 5章27―32節
27. 『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
28. しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。

29. もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。

30. もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。

31. また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。

32. しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。


礼拝メッセージ

十戒シリーズ ⑧

2024年10月20日

マタイの福音書 5章27―32節

「誠実な生き方」


「うちは、わりと仲が良いほうだなぁ」と思っている夫婦や親子など、家族の間でも、ほんのささいなことがきっかけで、互いにいら立ったり、もめたりすることがあるのではないでしょうか。

約2,000年前、イエス様がおられたユダヤでは、小さな失敗も許されず、夫から「お前は気に食わないから、出て行け」と、妻が三行半(みくだりはん)を突き付けられてしまう悲劇が起きていたそうです。そのような離婚を、当時の律法の教師たち:パリサリ人は「おかしい、間違っている」と指摘するどころか、反対に「それは正しい」と認めてしまっていたのです。ヒレルという律法の先生は、「奥さんが食事をこがしてしまったという些細(ささい)な事であっても、妻が夫に少しでも不愉快な思いをさせれば、夫は妻と離婚できる」と教えていたそうです。男性があまりにも優位な社会であり、女性、特に妻は、夫の所有物のように扱われていました。

そんな世の中の間違った考え方を正すべく、イエス様は山上の垂訓で語られます。マタイの福音書5章31,32節

また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。

今朝は、十戒の七番目の大切な戒め「姦淫(かんいん)してはならない。」(出エジプト記20:14、申命記5:18)をともに考えていきます。

「現代日本では三組に一組の夫婦が離婚している」(その年の婚姻者数と離婚者数の対比)と言われたりします。その原因の一つが、「お互いの信頼を裏切る不倫」であるでしょう。また「D.V.(家庭内暴力)と呼ばれる肉体的・精神的暴力や虐待」が陰で行われていたり、一緒に住んでいながらも家の中でバラバラという「家庭内別居」があったりします。また「熟年離婚」や「卒婚」という実態も聞こえてきます。

 こういった現実の中でほんろうされる夫の悲しみ・妻の悲しみ、子どもたちの悲しみ、親たちの悲しみ:家庭の混乱や痛みは、他人事ではありません。

イエス様は山上の垂訓の中で、まず「殺してはならない」という戒めの本当の意味を教えてくださいました(マタイ5:21-26)。続いて、私たちにとって大切な夫婦の問題、また男女のあるべき関係を教えられます。

神様が結び合わせてくださった大切なつながりである夫婦、それを破壊してはいけないのです。マタイ19章6節で、イエス様は「神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません」と結婚の大原則を教えます。夫婦が共に歩んで行くことは、結び合わせてくださった神様の前に誠実に歩むことです。またお互いに対する誠実さを、いつも保ちながら歩むことです。夫は妻に対して、妻は夫に対して、どこまでも誠実であることが求められています。

だからこそ、主は情欲をもって他の女性(男性)に目移りするようなことがあってはならないと教えるのです。マタイ5章27,28節

『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。

大変厳しいみことばです。この通り実行せよと言われると、「無理です…」と頭を抱えてしまうみことばです。特に若い男性にとっては、女性も例外ではないでしょうが、魅力的な異性を前にして、何も思わないという人はいないでしょう。実際に行為に及ばなくても、心の中で妄想を膨らませてしまう。それは若い人も、年老いた人も、独身者であっても、既婚者であっても、変わらないのではないでしょうか。年配の男性が性犯罪で逮捕されたという報道を見聞きする中で、情欲との闘いは一生続くのだと思わされています。

神様は、私たち人間や生き物に男性と女性という「性」の違いを与られました。そして違う者が一つになっていくという「わくわくする営み」を与えてくださいました。そのために与えられた「一緒になりたいという願望」、「相手のことを魅力的に感じる心」、また「性欲」というもの。本来、良きものとして与えられたものを、私たちは正しくコントロールできないのです。一人のパートナーだけを誠実に愛し、添い遂げていけたら良いのですが、心の中に沸いてくる欲望や悪い考え、目や耳に入ってくる甘い誘惑や誤った情報に、ふらふらとなびいてしまいます。

約2000年前、ユダヤの宗教家たちは、「殺人や不倫という行為をしていないから、我々は律法を守っているんだ」と自負していました。外面(そとづら)は立派に見せていました。そんな彼らに、また私たちに、イエス様は「あなたの心の中も見ているんだよ」と言われるのです。

私たちの心の中には、見せたくないもの、見られたら困るもの、暗い陰の部分があります。こっそり一人、テレビの前で、スマホやパソコンの画面の前で、週刊誌の見出しを前にして、私たちの心は何に惹かれて行くでしょうか…。神様と、一番身近な隣人(夫・妻・大切なパートナー)への誠実さとは正反対のものが、そこにはないでしょうか?良くないと分かりながらもそれに心惹かれ、「良いなあ」とあこがれてしまっている。「もうしょうがないや」と開き直っていることはないでしょうか?

だからこそ、そういったものから離れなさい、そういったものをあなたの生活から切り離しなさいと、イエス様は、私たちに「過激だ!」と、びっくりするような表現で命じられるのです。29,30節

もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。

右目をえぐり出したからと言って、右手を切り捨てたからと言って、情欲を感じなくなるということは、恐らくないでしょう。左目、左手、耳、鼻、口、肌も残っています。イエス様は、ここで外面的なことよりも内面の誠実さを求めておられます。

「右目」、「右手」の、「右」には、大切に思っているもの、手放せない者、執着してしまっているものという意味があります。それを見てしまうとまずい…。あの人と二人きりになると危険だ…。そういう私たちを罪や裏切りへと誘い込むもの(者)から身を避けなさい。神様の前に、また家族、夫・妻・子どもたちに対して、裏切りを犯さないように。また自分の良心に対して誠実に歩めるように、誘惑から身を避けなさいと、イエス様は語りかけてくださっているのです。

私たちが情欲や様々な欲望に対して、どれほど弱い存在であるかを、イエス様はご存知だからです。だからこそ、私たちも祈ります。「主よ、私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください」。

イエス様は、私たちに誠実な歩みを求めておられます。それも心の誠実さです。私たちは、外見だけ・表面だけ誠実ぶることはできるかもしれません。しかし、「あの人、誠実だね」と言われている人であっても、「あなた誠実そうね」と第一印象で言われたとしても、実態は違っていたり、心の中には様々なものがうごめいていたりするのではないでしょうか?

 神様が、あなたのために与えてくださった愛すべき人を悲しませないように。あなたもパートナーも家族も皆、共に神様の祝福にあずかり、本当の幸せをつかむために、「姦淫してはならない」の戒めをいつも覚えていきましょう。「浮気・不倫」といった一時の快楽に身をゆだねないように。身を滅ぼし、すべてを台無しにする罪を犯さないように、自分の心と、目や耳から入ってくるものを見張っていきましょう。

さて今日の聖書交読は、旧約聖書の「ルツ記」でした。ユダヤのベツレヘムから、一つの家族が飢饉の難を避けて、異国の地、ルツの住むモアブの地に移住してきたことから、出来事が始まります。

異国の地に移り住めるほど多くの財産を持っていた家族でした。稼ぎ頭の男性が3人(父と二人息子)もいました。しかし、モアブの地に移住後、この家族は多くのものを失います。ご主人に続いて、二人の息子たちも早くして亡くなります。残ったのは、お姑さんのナオミと、息子たちに嫁いでくれたモアブ人のお嫁さん二人だけでした。女3人になってしまった時、お姑さんは故郷のベツレヘムに帰る決断をします。「自分一人だけで帰ろう。お嫁さんたちにはモアブの地で、新たに良い男性と再婚してもらい、安らかに過ごしてほしい」と願います。

 しかし長男の嫁、ルツだけはナオミから離れようとしませんでした。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(1:16)と、私はお義母さんから何があっても離れませんと、決心したことを伝えます。亡くなったご主人とお義母さんに、どこまでも誠実に仕え、一生涯尽くして行こうと決断したルツでした。それはモアブの異教の神々ではなく、イスラエルのまこと神を知ったルツの、この神様とともに歩んで行きたいという誠実さから出た思い、信仰の決断でもあったのです。

 ナオミとルツはベツレヘムに帰ります。男たちを失い、財産も失い(もしかしたら借金を抱え)ての帰還でした。ルツはベツレヘムの麦畑で、収穫の際にできる落穂を拾う働きに出ます。貧しい家庭が飢え死にしないように、神様が定めてくださった救済措置でした。その麦畑の主人がボアズと言う年配の独身男性で、実はナオミの夫の親戚だったのです。旧約聖書の律法には、身内が貧しくなって相続地を売ってしまったら(借金を負ってしまったら)、買い戻しの権利を持つ親戚が、買い戻してあげなさい(助けてあげなさい)と定まっていました(レビ記25:25)。ナオミとルツにとっては、ボアズがその買い戻しの権利のある親戚にあたりました。

 ナオミはルツに幸せになってほしいと、ボアズと再婚できるように策を練っていきます。それが今日、交読したルツ記3章の内容です。

ナオミは、「今晩がチャンスよ」とルツに伝えます。3章3,4節

あなたはからだを洗って油を塗り、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。けれども、あの方が食べたり飲んだりし終わるまでは、気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その場所を見届け、後で入って行ってその足もとをまくり、そこで寝なさい。あの方はあなたがすべきことを教えてくれるでしょう。」

古代イスラエルでは、このような大胆な逆プロポーズ(女性から男性へ)が普通だったのかどうか定かではありません。大胆であるがゆえに、お姑さんのナオミは綿密に計画を立て、細かくルツに「こうしなさい」と指示します。ルツが一番美しく見られるように清潔にし、今で言えば香水にあたる油を塗り、一番いい着物を着てと。そして脱穀作業を終え、宴会で飲み食いして、気持ちよくなって寝てしまったボアズさんの後を追って行き、その足元をめくって、あなたも横になりなさいと。

とても大胆です! これは何を表しているのでしょうか? 当時は男性もスカートのようなもの、ガウンのようなものを見にまとっていましたから、すそを開けて、そこに入り込むことは可能でした。この時、ルツがしなさいと教えてもらったことは、「ボアズさん、私と結婚してください、私とナオミをかくまってください。あなたの家族にしてください」ということを象徴的に伝える行為でした。

旧約聖書の預言書、エゼキエル書にはこんなみことばがあります。16章8節

わたしがそばを通りかかってあなたを見ると、ちょうど、あなたは恋をする年ごろになっていた。わたしは衣の裾をあなたの上に広げ、あなたの裸をおおった。わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだ─神である主のことば─。そして、あなたはわたしのものとなった。

 ルツがとったこの方法は、一歩間違えば、大問題・スキャンダラスなゴシップ記事にもなりかねない計画ですよね。ルツさんが夜な夜なボアズの寝床に入り込んだ。なんてふしだらなことをと、とがめられるかもしれせん。また、ボアズさんが誠実で神様を恐れる人でなかったなら、何をされるか分かりません。

 ボアズをよほど信頼していなければ、そしてボアズもルツに好意を抱いていて、受け入れてくれるという確証がなければ、一歩踏み出せない行為でした。びっくりするナオミの提案に対して、ルツはただ一言、「おっしゃることは、みないたします。」従いますと即答したのです。

 真夜中、ボアズは足元に若い女性が寝ていることを知って、驚いて飛び起きます。そこで、ルツからのプロポーズを聞き、3章10.11節でボアズは答えます。

「娘さん、主があなたを祝福されるように。あなたが示した、今回の誠実さは、先の誠実さにまさっています。あなたは、貧しい者でも富んだ者でも、若い男の後は追いかけませんでした。娘さん、もう恐れる必要はありません。あなたが言うことはすべてしてあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っています。」

ルツが示した「先の誠実さ」とは何でしょうか? 夫も子どもたちも失って悲しみにくれているお姑さんナオミを一人にしておけず、故郷モアブを離れて、ナオミに付き従って来たこと。そしてナオミのためにという思いで、朝から晩まで落ち穂拾いに励んだことでしょう。

そして、「今回の誠実さ」と言うのは、ルツが神様の定めた秩序に従って、ボアズの所に助けを求めに来たということです。ベツレヘムの町には、他にもルツを養えそうな若い男がいました。ルツは、そんな若い男になびかなかったのです。

これまでの誠実さも、今回の誠実さも、「あなたの神は私の神」と告白したルツの信仰から出て来たものでした。どこまでも誠実に私たちを守り、導いてくださる神様に従う、ルツに与えられた誠実さでした。

ボアズは「大丈夫、あなたがしてほしいことは、みんな叶えてあげるから。」と答えます。それは「プロポーズを受諾します。結婚しましょう」という以上のことでした。「あなたは、私が買い戻しの権利のある親類だと頼って来てくれた。この後、少し込み入ったことはあるけれど、それも含めて、あなたもナオミも全部、引き受けるから」という意思表明でした。

 大胆なプロポーズをしたルツ。彼女の誠実さを受け止めて、誠実に答えていくボアズ。義母ナオミも含め、3人の登場人物は、みんな誠実です。みんな善意の固まりのような人たちです。相手に幸せになってほしいと心から願いながら、三者三様、それぞれの立場で、それぞれのなすべきことを誠実に行っていくのです。

 「姦淫してはならない」 この戒めは、誠実なるまことの神様に対して、私たちも誠実に生きることを求めています。そして神様がパートナー・助け手としてお与えくださった方に、互いに誠実に仕え合うことを求めています。なぜなら、それが私たちの幸せ、神様からの祝福だからです。

祈りましょう。

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