ルカの福音書 22章 31-34節
31. シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
32. しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」33. シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
34. しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
礼拝メッセージ
主の祈りシリーズ ⑧
2025年2月23日
ルカの福音書 22章 31-34節
「試みにあわせないでください」
学生の頃、教会で年配のご婦人たちのお話を聞きました。「キリスト教に対する迫害があったかつての戦時中、私たちの信仰はふるいにかけられた」と実体験を語ってくださいました。お米や麦などがふるいにかけられ、軽いもみ殻が風に吹き飛ばされていくように、信仰を捨てて教会から去って行った仲間たちがいたのでしょう。
「主の祈り」の中で私たちは祈っています。文語体では、「我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ」と。『聖書 新改訳聖書2017』では、「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください」(マタイの福音書6章13節)と。
この祈りは、主の祈りの6番目の祈り=最後の願い求めです。イエス様は私たちに「罪を犯さないように悪いものから救い出してください。そう祈りなさい」と教えてくださいました。
毎朝目覚めた時、活動を始める前に、仕事中や勉強中、運転中、家事の間も、友だちと遊んでいる時にも、テレビやスマホ・パソコンの画面・マンガや雑誌を見ている時にも、夜、床に着いた時にも、「神様、どうか私を・私の家族を・教会の仲間たちを・教会の牧師を罪の誘惑から守ってください。悪しきものの企み・悪魔のささやき、私たちをだまそうとしのびよるものから、どうか私たちを助け出してください」と、私たちは日々、この地上の生涯を終えるまで祈り続けていく必要があるのです。
イエス様は、私たち人が、こう祈り続けていかなければいけないほど弱い存在であることをご存知でした。私たちが誘惑に弱く、悪や罪に弱いことをご存知でした。
「試みにあわせないでください」と祈りますが、私たちは日々、数えきれない試みにさらされます。願ってもいないこと、思ってもいない試練・苦しみ・悩みが飛び込んできます。人生、自分の思い通りになることなど、ほとんどないように感じます。この道だと信じて進んで行ったら、「通行止め」や「行き止まり」で、Uターンしてもとに戻らなくてはいけなかったり、違う道に行かなければいけなかったりもします。
他にも人の言葉・態度・表情がぐさっとあなたの心を突き刺すこともあります。人の悪意にさらされ、だまされそうになったり、おどされたり、悩まされることもあります。反対に、自分のふるまいや言動が、家族や仲間の心を大きく傷つけてしまうこともあります。また、この世の価値観・この世の情報に飲み込まれそうにもなります。私たちの欲望を刺激し、罪へといざなうサタンの企みがあります。
そのような試み・試練に直面させられた時、私たちの真価が問われます。自らの 信仰・心・生き方の本質があらわにされます。本当のところ、あなたは何を第一とし、どなたを一番信頼し、何を求めて生きているのかが明らかにされるのです。何事もないときには、「本音」と「建て前」を使い分けられても、厳しい試練にあっては、あなたの「本音の部分」が見えてしまうのです。
試みにあうことは、大きな分岐点に直面させられることです。試みを通して、
① 私たちの信仰が成長していくのか。それとも ② 信仰が消滅してしまうのか。
① 一つ目は、厳しい試練を前に、主なる神様にしがみついていく信仰者の道です。神様はすべてを知っておられ、すべてを正しく支配しておられると信じて、忍耐し、悪と・誘惑と戦うのです。
② 二つ目は反対側にあり、罪の誘惑に飲まれ、落ちていく悪の道です。神様から離れて行ってしまう生き方です。こんな目にあわせる神なんて信じられない「神も仏もない」と神様を否定してしまう道です」。
「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください」これは、耐えられないような苦しみにあわせないでくださいという祈りです。悪へと強力に引っ張っていく誘惑からお守りください。それから私たちが身を避けることができますように。目を向けず、耳を向けず、心をとりこにされませんようにと願うのです。また、つらく 苦しい試みにあった時、私たちがやけになって、人生どうにでもなれと自暴自棄になって罪を犯すことがありませんようにという祈りです。「俺の人生はもう終わりだ…」そう思い込んで、とんでもないことを言ったり、したりしませんように。そして自分自身と周りの人たちを、何よりも主のみ名を傷つけることがありませんように。どうか私たちを守っていてください。導いてくださいと祈るのです。
今日のルカの福音書の聖書箇所で、弟子たちはイエス様と最後の晩餐をともにし・ゲツセマネの園でのイエス様の壮絶な祈りに寄り添い、逮捕され、取り調べられ、十字架にかけられるイエス様を目撃しました。弟子たちにとっては極限状況の、全く想定外の突然の試みの中で、一番弟子を自負していたペテロは試みに負け、イエス様を裏切ってしまいました。
イエス様は最後の晩餐の席で、ペテロに語りかけます。22章31節
「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。」
これは、ペテロ一人だけに向けてというよりも「あなたがたを」とあるように他の弟子たちにも向けられた言葉でした。サタンは、弟子たちのイエス様への従順さを試し、ふるいにかけ、「弟子失格・破門」の烙印を押そうと企んでいました。この後、逮捕され、裁判にかけられ、十字架で死なれるイエス様に、それでも付いていくか、信頼し続けられるかどうか、弟子たちは試されたのです。
実際にこの後どんな試練が待っているか全く分かっていないペテロは、イエス様の言葉に反論し、自信満々で豪語します。32節、
シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
たとえ火の中・水の中、どこまでも主への私の忠誠心は変わりません。絶対に裏切りません。大丈夫ですと言い放ちます。しかし、先ほど交読したペテロがイエス様との関係を完全否定したみことば(ルカ22章 54-62節)の通り、それはペテロの過信・ただの強がりにすぎませんでした。いざ身の危険にさらされた時に、試みられた時に、ふるいにかけられた時に、ペテロ本人の覚悟・決意など何の役にも立たなかったのです。恐ろしくなって、「いや、私はその人を知らない」と3回(ユダヤ人にとって完全数)も、イエス様との関係を否定してしまったのです。
「鶏が鳴くまでに」とイエス様が前もって語られた通りでした。イエス様を裏切ってしまった私たちの罪を思い出せてくれた鶏。このことを警告として忘れないように、後にヨーロッパの教会や家屋は屋根の上に「風見鶏」を取り付けたのだそうです。
イエス様を裏切ってしまったペテロにサタンは、ささやきかけたでしょう。「もうお前なんて終わりだ。ダメ人間だ。弟子失格だ。お前なんて生きている意味がない」と。ペテロは申し訳なさと恥ずかしさで、死にたい思いになったかもしれません。でも、そんなペテロの胸にイエス様のみことばがこだましていたはずです。32節 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
そしてペテロの心には、どうしようもない自分を見つめてくれたあの時のイエス様のまなざしが焼き付いていました。主は振り向いてペテロを見つめられた。(61節)こんな私をさげすむ目、見下す目、責めるまなざし…ではありませんでした。 悲しみのまなざし、あわれみに満ちたまなざし、こんな私のことを同情してくださるイエス様のまなざしでした。
ペテロは、自分自身のどうしようもない卑怯さと弱さと、自己中心さという罪を知らされました。それでも、そこで主イエス様のみことばとまなざしに触れることができました。ただただ申し訳なくて、悔しくて、外に出て行って号泣するしか出来ませんでした。
でも、そこで激しく泣くペテロはイエス様の愛の御手に包まれました。その後、十字架の主をその目で見、復活された主イエス様と再会する中で、ペテロはイエス様から立ち上がらせて頂くのです。赦され、生かされ、再出発していく信仰を回復して頂いたのです。
私たちも祈ります。「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください」あの時のペテロのような極限状態に、私たちを置かないでください。例え、あのような 状況に立たされたとしても、イエス様を裏切ることがないように、私たちの信仰を日々ととのえていてください。そして何度も転び、道を間違えてしまうような私ですが、それでも見捨てず、見離さず、あなたのものとしていてください。そう祈り続けていきましょう。
最後に、『ハイデルベルク信仰問答』から今日の祈りについての説き明かしを聴いていきましょう。
問127 第六の願いは何ですか。
答 「われらをこころみにあわせず、
悪より救い出したまえ」です。
すなわち、
わたしたちは自分自身あまりに弱く、
ほんの一時立っていることさえできません。
その上わたしたちの恐ろしい敵である
悪魔やこの世、また自分自身の肉が、絶え間なく攻撃をしかけてまいります。
ですから、どうかあなたの聖霊の力によって
わたしたちを保ち、強めてくださり、
わたしたちがそれらに激しく抵抗し、
この霊的戦いに敗れることなく、
ついには完全な勝利を収められるようにしてください、
ということです。
祈りましょう。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
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