ヨハネの福音書 18章1-11節
1. これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。
2. 一方、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスが弟子たちと、たびたびそこに集まっておられたからである。3. それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやパリサイ人たちから送られた下役たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、そこにやって来た。
4. イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、「だれを捜しているのか」と彼らに言われた。
5. 彼らは「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。
6. イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。
7. イエスがもう一度、「だれを捜しているのか」と問われると、彼らは「ナザレ人 イエスを」と言った。
8. イエスは答えられた。「わたしがそれだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちは去らせなさい。」
9. これは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」と、 イエスが言われたことばが成就するためであった。
10. シモン・ペテロは剣を持っていたので、それを抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
11. イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」
礼拝メッセージ
2025年3月16日
ヨハネの福音書 18章1-11節
「わたしがそれだ」
現代社会、写真や映像などに取り囲まれていて、いつもそれを目にしていますので、私たちは有名な政治家やスポーツ選手、好きな芸能人の顔を思い浮かべることができるはずです。〇〇さんと、その人の顔の画像・映像が頭の中でつながっています。
しかし、カメラなどなかった約2,000年前の世界、月は出ていたとしても、暗がりであった夜に、「この人がイエスだ」と見分けることは難しかったでしょう。別の誰かを間違って逮捕してしまい、取り調べの席に連れてきてしまうかもしれません。ですから、銀貨30枚でイエス様を敵対するユダヤ当局の手に売り渡し、「裏切り」をたくらむイスカリオテのユダは、「この人物こそ、あなた方が目のかたきとし、殺害しようとねらっている『イエス本人』なのだ」と、知らせる合図を決めていました。
中東の人たちや欧米人が、親しい人と交わす際のあいさつ、口づけによって、「この男がイエスだ」と知らせると。イエス様逮捕の場面を記すマルコの福音書14章43-46節には、こうあります。
43. そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二人の一人のユダが現れた。祭司長たち、律法学者たち、長老たちから差し向けられ、剣や棒を手にした群衆も一緒であった。44. イエスを裏切ろうとしていた者は、彼らと合図を決め、「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえて、しっかりと引いて行くのだ」と言っておいた。45. ユダはやって来るとすぐ、イエスに近づき、「先生」と言って口づけした。46. 人々は、イエスに手をかけて捕らえた。
指導者たちにねたまれ、憎まれ、弟子に裏切られ、逮捕され、連れて行かれ、取り調べられ、偽りの証言をあびせかけられ、不当な裁判によって死刑判決を書かれ、ムチで打たれ、十字架を背負わされ、釘をその手と足に打たれて、殺されていくイエス様。みな「〇〇された」と受け身の表現で言い表すことも出来るでしょう。
けれども、今年の受難節、開いていきたいと願っている「ヨハネの福音書」の受難の記事では、受け身というよりも自らの意思で、能動的に十字架へと向かってくださるイエス様のお姿があります。ヨハネの福音書18章1,2節、
1. これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。2. 一方、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスが弟子たちと、たびたびそこに集まっておられたからである。
最後の晩餐を終えて、賛美歌を歌いながら(マルコ14:26)、イエス様と弟子たちは都エルサレムの城壁の間の門を抜け、坂を下って行きました。そこには冬の雨季の間しか流れない川があり、春の今は水のない谷底となっていました。そんなギデロンの谷を渡り、目の前のオリーブ山を登り、イエス様たちはいつもの祈りの場所、よく弟子たちと集まっていたゲツセマネの園に入られました。
「あそこに行けば、イエス様一行に出会えるはずだ。必ずそこにいる」とユダが分かっているいつもの場所に、イエス様はいつものように入って行かれるのです。そこで逮捕されることを分かった上で、逃げも隠れもせずに、園の中に入られるのです。そして事実、その場所でイエス様は捕らえられるのです。分かった上で、それでも園に向かわれるイエス様。明確な使命感があったのです。父なる神様との約束を果たすという使命が。それは私たちのために、私たちに代わって、あの十字架にかけられるということでした。
主イエス様と同じ道筋を、その約1,000年前、ダビデ王も歩きました。先ほど交読した第二サムエル記15章のみことばです。息子アブサロムの反乱・謀反に遭い、自らと家族や部下たちの命を守るため、ダビデ王は都を脱出します。
23. この民がみな進んで行くとき、国中は大きな声をあげて泣いた。王はキデロンの谷を渡り、この民もみな、荒野の方へ渡って行った。
30. ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った。彼と一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。
ダビデの子孫として来られた主イエス様も同じ道を歩まれましたが、そのあり方は大きく違いました。ダビデ王の逃亡を都中の人は泣いて、悲しみました。しかし、ダビデの子イエス様に向かって、エルサレムの群衆は「十字架につけろ」(マルコ15:11-14)と声を合わせたのです。
ダビデは息子に裏切られた悲しみで、嘆き泣きながらオリーブ山を登り、逃げざるをえませんでしたが、ダビデの子イエス様は賛美しながら、いつもの祈りの園に入られます。裏切られ、捕えられ、殺されるために、自らオリーブ山に登られたのです。
逮捕の場面でもそうでした。ユダヤ当局はローマ軍の手も借りて、大人数でイエス様に立ち向かって来ました。ヨハネの福音書18章3節、
それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやパリサイ人たちから送られた下役たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、そこにやって来た。
ローマ軍兵士600人の部隊です。さらに宗教家たちのもとで仕えている役人たちも一緒でした。イエス様と11名の弟子たちだけの弱小集団(実際に、祈られるイエス様のそばにまで呼んでもらえたのはペテロとヤコブとヨハネの3人の弟子だけでした:マルコ14:33)を捕らえるには、あまりにも大げさな大軍団でした。「絶対に取り逃がさないぞ」という敵の執念のようなものを感じますし、「信じられないような奇跡を起こすことのできるイエスにも対応できる大軍団で」と対策が練られていたのかもしれません。
暗闇に紛れて逃げてしまわないように、また別人を逮捕しないようにと、明かりとたいまつを手にし、さらに相手が抵抗してきた際には対抗できる武器も携帯していました。
しかしイエス様は、立ち向かって来る軍団を前にしても、一歩もひるみません。まったく受け身ではありません。かえって自ら一歩前に進み出て、弟子たちを守るように自ら盾となって立ちはだかり、「だれを捜しているのか」と逆に質問を投げかけるのです。当局者たちが、「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。(18:5)
「わたしがそれだ」。英語の聖書ですと、“I am He.”。原語のギリシャ語だと「エゴー・エイミ」です。ナザレ人イエスとはわたしだ。あなた方が捕らえたいのは、このわたしだと、言われたのです。「まさか、自ら名乗り出る」とは、当局は思ってもいなかったでしょう。そのあまりの迫力に圧倒され、逮捕しにやって来た大軍団の方が、後ずさりし、しりもちをついてしまうのです。厳しい訓練を日々こなし、何者にも動じないはずの屈強なローマ兵たちが倒れ込んでしまうほどの、イエス様の迫力でした。
「エゴー・エイミ」は、イエス様が救い主であられ、そして神様であられることの宣言でもありました。ヨハネの福音書8章23、24節、
23. イエスは彼らに言われた。「あなたがたは下から来た者ですが、わたしは上から来た者です。あなたがたはこの世の者ですが、わたしはこの世の者ではありません。24. それで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」
このイエス様の宣言『わたしはある』も、ギリシャ語の「エゴー・エイミ」でした。さらに『わたしはある』は、元をたどれば、出エジプトの前に主なる神様が、モーセに明かされた神様のお名前、「わたしは『わたしはある』という者である。」(出エジプト記3:14)でした。「我こそ主なる神なり」イエス様のこの宣言を前に、大軍団は圧倒され、地に伏すのです。
7. イエスがもう一度、「だれを捜しているのか」と問われると、彼らは「ナザレ人 イエスを」と言った。8. イエスは答えられた。「わたしがそれだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちは去らせなさい。」9. これは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」と、 イエスが言われたことばが成就するためであった。
もう一度、「だれを捜しているのか」、「わたしがそれだ」のやり取りがあった後、イエス様は、「お前たちの目的はわたし一人を捕らえることだろう、ここにいる他の弟子たちは解放せよ」と要求するのです。それはイエス様のもとにきた人たち(弟子たち)が一人も失われることがないという、イエス様が前もって語られたみことばが成就するためであった(18:9)のです。
ペテロ筆頭に弟子たちには、この時、まだ殉教の信仰・献身の備えが出来ていませんでした。「イエス様はこの世の王様になり、自分たち弟子はその王の側近となって立身出世する」。それが弟子たちの本望でした。まさかイエス様が処刑され、殺され、身代わりの死を遂げることのよって、救いを成し遂げるとは想像出来ませんでした。そんな弟子たちだからこそ、一緒に逮捕され、取り調べられでもしたら、すぐにイエス様への信頼、献身を無くしてしまうだろう、簡単に寝返り、裏切ってしまうことを分かっておられたイエス様は、弟子たちを守るため、からし種ほどの彼らの信仰を守るため、神様の救いと選びの内にとどめてくださるために、「去らせよ」と命じてくださったのです。
イエス様は、弟子となった私たちのことをそのように守り、愛してくださっています。
イエス様のそんなご愛の内にあったはずの弟子のペテロでしたが、イエス様を守ろうという正義感からでしょうか、あるいは恐怖心からでしょうか…、手に持っていた剣で、大祭司のしもべマルコスの右耳を切り付け、耳を切ってしまったのです。相手の命を奪おうと剣で切りかかった結果、相手が身を避けたか、ペテロの狙いが外れて…耳に向かっていったのだと思います。ペテロはあとちょっとで殺人犯・殺人未遂犯になっていたのです。そんな敵の切り落とされた耳を、イエス様は御力によって癒されます。癒された傷は、ペテロにとっても同じでした。人を殺めそうになった自分の恐ろしさを気付かされ、それをもイエス様はカバーしてくださったのです。
この時、ペテロがふところに持っていたのは、イエス様が持つこと許可した剣でした。
ルカ22:35―38
それから、イエスは弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も袋も履き物も持たせずに遣わしたとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。すると言われた。「しかし今は、財布のある者は財布を持ち、同じように袋も持ちなさい。剣のない者は上着を売って剣を買いなさい。あなたがたに言いますが、『彼は不法な者たちとともに数えられた』と書かれていること、それがわたしに必ず実現します。わたしに関わることは実現するのです。」彼らが、「主よ、ご覧ください。ここに剣が二本あります」と言うと、イエスは、「それで十分」と答えられた。
たった二本の剣。何百人もの大軍団を前にしては、まったく役に立たない剣です。それでも人を傷つけてしまう武器です。イエス様は、ペテロに大きな失敗をさせる経験を通して、剣(武力、戦力、言葉の武器)によらない神様のご支配・平和を学ばせようとされたのではないでしょうか。
マタイ26:52「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
このことを学ばせるために痛い経験をさせたのです。
ヨハネ18:11
イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」
私たちの主イエス様は、自ら苦き杯を飲んでくださるお方です。古代世界においては、王様の飲み物・食べ物を事前に毒見するしもべが存在しましたた。毒殺されることを防ぐためです。
イエス様たちが飲まれた最後の晩餐のぶどう酒は甘くておいしいものだったでしょう。しかし、これから待っている杯は、それを飲めば、死ぬことが待っている恐ろしい杯でした。王の王、主の主であるイエス様が、弟子たちを・私たちを守り、赦し、救い出し、生かすために、恐ろしい死に至る杯(十字架の死)を、自ら手に取り、飲んでくださったのです。
「わたしがそれだ」と弟子たちを守るために、敵の刃の前に、自ら盾となって立ちふさがってくださった主イエス様。この杯を「飲まずにいられるだろうか」と言ってくださったイエス様のご覚悟、誠実さ、ご愛に胸打たれながら、今年の受難節を、過ごしてまいりましょう。
祈ります。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
キリスト教プロテスタントの教会です。 毎週日曜日の午前10時半から📖「礼拝」を、 毎週水曜日の午前10時半から🙏「聖書の学びとお祈りの会」を行っています。 クリスチャンではない方も、どの国の方でも、 👦 👧 👨 赤ちゃんからお年寄りまで 👩 👪 🙍 「礼拝」や「お祈りの会」にご自由にご参加いただけます。 🏡 家族のようなあたたかな教会 ♰ この町の教会 あなたの教会です。
0コメント