詩篇 89篇 38―52節
38. しかし あなたは拒んでお捨てになりました。あなたは 激しく怒っておられます。あなたに油注がれた者に向かって。39. あなたは あなたのしもべとの契約を廃棄し 彼の王冠を地に捨てて汚しておられます。
40. あなたは彼の城壁をことごとく打ち壊し その要塞を廃墟とされました。
41. 道行く者はみな 彼から奪い取り 彼は隣人(となりびと)のそしりの的(まと)となっています。
42. あなたは彼の仇(あだ)の右手を高く上げ 彼の敵をみな喜ばせておられます。
43. しかもあなたは 彼の剣(つるぎ)の刃(は)をさやに戻し 彼が戦いに立てないようにしておられます。
44. あなたは 彼の輝きを消し 彼の王座を地に投げ倒されました。
45. あなたは 彼の若い日を短くし 恥で彼をおおわれました。
46. いつまでですか。主よ。あなたがどこまでも身を隠され あなたの憤(いきどお)りが火のように燃えるのは。
47. 心に留めてください。私の生涯がどれほどかを。あなたがすべての人の子らをいかにむなしいものとして創造されたかを。
48. 生きていて死を見ない人は だれでしょう。だれが自分自身を よみの手から救い出せるでしょう。
49. 主よ あなたのかつての恵みは どこにあるのでしょうか。あなたは 真実をもって ダビデに誓われたのです。
50. 主よ みこころに留めてください。あなたのしもべたちの受ける恥辱(ちじょく)を。私が多くの国々の民をすべて この胸にこらえていることを。
51. 主よ あなたの敵どもはそしりました。あなたに油注がれた者の足跡(あしあと)をそしったのです。
52. 主は とこしえにほむべきかな。アーメン、アーメン。
礼拝メッセージ
主の祈りシリーズ ⑩
2025年3月9日
詩篇 89篇 38―52節
「アーメン」
2025年は「イエス様の祈りにならう」、また「祈りを深く」との目標が与えられ、主イエスが教えてくださった「主の祈り」を一つずつ見て来ました。そして今日が最後の「アーメン」という言葉です。
私たちは、主の祈りだけでなく、あらゆる祈りの最後に「アーメン」と言います。ときには賛美の最後にも「アーメン」と歌います。
「アーメン」は元々、ユダヤ人の言葉=へブル語の単語で、「本当に」、「確かに」、「その通り」、「そのようになるように」といった意味です。
旧約聖書では、この単語が合計29回、使われていて、新約聖書では、100回多く129回もです。イエス様が大事なことを伝える際よく、「まことに、まことに、あなたに言います」と言われましたが、これは「アーメン、アーメン、私はあなたに言う」という表現でした。
では、いつも祈りの最後に「アーメン」と言う時、私たちはどんな思いでそう言っているでしょうか?
- 何も考えずに、ただ何となく。いつも言っているから。自然の流れで口にしているでしょうか。
- 「そうだなあ!その通りだなあ!」という思いから。特に、誰かの祈りに合わせて「アーメン」と言う時、そんな思いになる。
- 誰かの祈りに心を合わせて一緒に祈る。「本当にそうなりますように」、「心からお願いします。」「そうしてください!そうなってください」と強く実現を願って言う「アーメン」もあるでしょう。
- 神様に、「絶対にお願いしますよ」と念を押すような気持ちで伝えるアーメンもあるかもしれません。
もう一つの「アーメン」についての理解を『ハイデルベルク信仰問答』から与えられました。宗教改革が起こった16世紀のドイツで作られたキリスト教信仰の入門書です。主の祈りについての問答が最後に記されています。
最後の問い129は、 「アーメン」という言葉は、何を意味していますか。
それに対する答えは、
「アーメン」とは、
それが真実であり確実である、ということです。
なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、
わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、
わたしの祈りは、この方に聞かれているからです。
私の心の中に「これが欲しいなあ、こうなって欲しいなあ」という思いが沸いて来て、神様にそう祈るとします。そう祈っていることを私が心で感じるよりも、はるかに確実に、神様は私たちの祈りを聞いてくださっている。だから「アーメン」と言うのです
普段の会話においても、自分の表現が下手なせいで、または正しい言葉が出て来なくて、思いがちゃんと伝えられないことがあります。そんなとき、あなたのお父さん・お母さんとか、あなたのことを良く分かってくれている人が、あなたの表情や様子を見て、「本当に言いたいことはこういうことなんだね」と心の中の思いを理解してくれたら、どうでしょうか? ほっとするでしょうか。分かっていてくれるという喜びが沸いてくるのではないでしょうか? 同じように、私たちの祈りを聴いてくださる神様は、あなたの心の中の思いもみんな正しく分かっていてくださるお方。私たちの言葉にできないような喜び、悲しみ、感謝、嘆きも分かっていてくださるお方。「神様、あなたは分かっていてくださるのですね!」そのような安心と信頼の思いで、「アーメン」と伝えていくのです。
また、私たちの願いは、ときに不完全です。しばしば人間的な思いから、欲やむさぼりから、願いが出てきてしまいます。良くない願いもしてしまいます。けれども、神様あなただけは「アーメン」なるお方なのですね。真実なるお方、確かな絶対者、善きお方です。永遠に変わらないお方です。あなたが、私の祈りを確かに聞いていてくださっていること。そして私たちのために、確実に最善のことをなしていてくださることを信じます。
先ほど交読したⅡテモテのみことばにも、「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(2:13)とあったように、そのような思い・信仰をもって、私たちは「アーメン」と言うのです。そのような思いでいつも「アーメン」と言えたらと思います。
詩篇89篇を開きました。ここには、詩人の嘆き・悲しみが表現されています。おそらく敵に侵略され、母国が無くなってしまった衝撃を経験しています。故郷が無くなってしまったのです。39-41節、
あなたは あなたのしもべとの契約を廃棄し 彼の王冠を地に捨てて汚しておられます。あなたは彼の城壁をことごとく打ち壊し その要塞を廃墟とされました。道行く者はみな 彼から奪い取り 彼は隣人(となりびと)のそしりの的(まと)となっています。
イスラエルの2代の目のダビデ王には、永遠に続く神様の祝福が約束されました。ダビデは息子ソロモンに王位を継承します。しかし、ソロモンの死後、国は南北に分断し、北はアッシリア帝国に滅ぼされ、国中の人たちが外国に連行されます。南もバビロン帝国に滅ぼされ、捕囚の民として遠く東の国へ連れて行かれます。
そういった民族の悲劇の渦中にある信仰者の悲しみの詩。神様なぜですか? 神様いつまでですか? あの時の約束はどこにいったのですか!? という訴えがこだましています。 38節
しかし あなたは拒んでお捨てになりました。あなたは 激しく怒っておられます。あなたに油注がれた者に向かって。
あの時の、かつての恵みはどこへいったのか? と正直に胸の痛みを神様に訴えます。49節。
主よ あなたのかつての恵みは どこにあるのでしょうか。あなたは 真実をもって ダビデに誓われたのです。
敵に馬鹿にされ、迫害され、攻撃され続けています。多くの国々からの屈辱に耐え続けています。神様、あなたの守りと祝福の約束はどこへ行ったのですか?
この嘆きは、かつてのイスラエルの信仰者たちのものだけではありません。今も世界の各地で、私たちの周りでこだまし、私たちの胸の内にもあります。これまで上にいた者が突然引き下ろされ、違う者が上に立つのを私たちは見ています。そのことの良し悪しを私たちはすぐに出せませんが、現実として起こっています。これまでの秩序が壊され、「法律に基づく支配」から「力による現状変更」がまかり通っていく世界になっていきそうで、恐怖を感じます。
国際情勢だけでなく、私たちが勤める会社でも、また家族の中でも、理解できないことが起こります。日々「主の祈り」を祈るこの世界のただ中で起きていることをまのあたりにする私たちも「主よ、あなたの全能の力は、今どこにあるのですか?」と訴えずにはおられないのです。この地上を生きている私たちが体験している苦しみです。
天にいます私たちの父よ御名が聖とされますように御国が来ますように 御心が天で行われるように地でも行われますように
→ これとは程遠いこの世の現実。そんな世の影響を受けて、悪い考えを抱いてしまう私自身がいる。
詩篇89篇51節では、
「主よ あなたの敵どもはそしりました。あなたに油注がれた者の足跡(あしあと)をそしったのです。」
かつての国の栄光は汚されました。ダビデ王とその末裔の足跡が軽んじられています。これは今の世界の現実です。ダビデの子孫として来られたキリスト(救い主:メシア:油注がれた者の意味)が無視され、その足跡が軽んじられています。イエス様がそしられています。崇められるよりも無視され、小ばかにされています。悲しい現実です。キリスト教会にどんどん人々が押し寄せて来るようなこともありません。イエス様を求める人が急激に増えることも無い現実です。少数派の小さな群れ、それが私たちクリスチャンであり、教会です。
私たちも「神様、あなたの祝福の約束はどこへ?」と言いたくなります。
けれども、神様の約束は必ず成就するとのみことばに留まり続けていきたいのです。
ダビデ王に与えられた約束は、詩篇89篇3,4節です。
「わたしは わたしの選んだ者と契約を結び わたしのしもべダビデに誓う。わたしは あなたの裔(すえ)をとこしえまでも堅く立て あなたの王座を代々限りなく打ち立てる。」
ダビデの子孫を永遠に堅く立てる。ダビデの王座が永遠にという神様の約束です。国が分裂し、敗北する中で、「神様の約束は、いったいどこへ? 無くなってしまったのか? 嘘だったのか?」と思う中にあっても、詩人は神様の約束を思うのです。
ダビデに与えられてから1,000年後、まずこの約束が成就されます。ダビデの子孫としてイエス様が生まれて来てくださった。クリスマスの出来事によって。そして、イエス様の十字架の死により、私たちの罪の赦しと救いが完成し、イエス様の復活によって、私たちの復活と永遠のいのちが確かなものとされ、イエス様が天の父と、私たちのために送ってくださった聖霊に導かれながら、私たちはともに最後の約束の完成を信じ、待ち望みます。それは、イエス様の再臨の日です。王の王、主の主なるイエス様が、もう一度、この世界に降って来られ、新しい天と新しい地をすべ治めてくださいます。
神様の約束は、真実でとこしえに変わりません。必ず成就されます。人間の時ではない神様の時に、「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(Ⅱペテロ3:8)人が願うようにではなく 神様の知恵、ご計画通りに最善に、約束は果たされるのです。
その実現を信じて、神様の最善を信じて、私たちも、 主は とこしえにほむべきかな。アーメン、アーメン。(89:52) と主をほめたたえていける者になりたいと願います。
この後、応答の賛美として聖歌471番の「神のたもう安けさは」を歌います。その3節には、
「主はまことにましませば、御約束に変わりなし 主の恵みのふるまいに我が心は満ち足りぬ」
私たちも同じ信仰を頂いて、「アーメン」と祈る者になっていきましょう。
祈りましょう。
福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】
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